60歳で江戸に戻るとその書は大いに人気を博し、人々は競
って揮毫を求めたという。この頃、酒井抱一が近所に転居して、
鵬斎の生活の手助けをしはじめる。
鵬斎の書は現代欧米収集家から「フライング・ダンス」と形容
されるが、空中に飛翔し飛び回るような独特な書法で知られる。
「鵬斎は越後帰りで字がくねり」と揶揄されたほどである。
字形こそ良寛ばりではあるが、切れ味のよい筆運びは鵬斎独特
のものであるという。良寛より懐素に大きく影響を受けたようだ。
鵬斎は心根の優しい人柄でも知られ、浅間山大噴火(天明3年)
による難民を救済するため、すべての蔵書を売り払いそれに充
てたという。また赤穂浪士の忠義に感じ、私財を投じて高輪の泉
岳寺に記念碑を建てている。
定宿としていた浦和の宿屋の窮状を救うため、百両を気前よく提
供したという逸話も残っている。
亀田 鵬斎 扇面一部分公開 化政文化期の書家
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亀田鵬斎詩碑/新潟県公式観光情報サイト にいがた観光ナビ
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