かめだ ぼうさい
亀田 鵬斎(かめだ ぼうさい)
宝暦2年9月15日-------文政9年3月9日
(1752年10月21日) ----- (1826年4月15日)
江戸時代の化政文化期の書家、儒学者、文人。
宝暦2年(1752)に江戸神田(異説あり)に生まれる。鵬斎は
号である。
寛政2年5月24日(1790年7月6日)、朱子学以外の学問を
排斥する「寛政異学の禁」が発布される。
「異学の五鬼」とされてしまい、千人以上いたといわれる門下
生のほとんどを失った。その後塾を閉じ50歳頃より各地を旅
し、多くの文人や粋人らと交流する。
享和2年(1802年)に谷文晁、酒井抱一らとともに常陸国を
旅する。この後、この3人は「下谷の三幅対」と呼ばれ、生涯
の友となった。文化5年、妻を亡くす。翌年日光を訪れそのま
ま信州から越後、さらに佐渡を旅した。この間、出雲崎にて
良寛和尚と出会いがあり、3年にわたる旅費の多くは越後商
人が賄ったという。
60歳で江戸に戻るとその書は大いに人気を博し、人々は
競って揮毫を求めた。一日の潤筆料が5両超えたという。

