香雪美術館の「香雪」は、所蔵品の多くを蒐集した
村山龍平(むらやま・りょうへい)の号です。
その香雪の鯛の絵か。なぜ新しいこの絵が化政期
の一連の物の中に混ざってあったのか。香雪に見せて
、その時この絵をいただいたのか。趣味の茶会で人を
通して手に入れたのかわからない。都合の良いように
思い巡らしている。村山龍平の絵など見たことはない
のだからしかたない。
問題は「これら一連のもの」を美術品蒐集家の香雪に
見てもらったかである。
村山龍平は嘉永3年(1850)、紀州徳川藩の支藩、
伊勢田丸の城下(現在の三重県度会郡玉城町)で藩
士村山守雄の長男に生まれました。父守雄は版籍奉
還後、田丸城下を去り、明治4年(1871)、大阪に移
り住みます。龍平は、翌5年に西洋雑貨を商う「田丸屋」
を開業し、数年後には店を大きくして「玉泉舎」と改めま
した。
西南の役を境に世情も落ち着き始め、明治12年1月
、龍平29才の時に朝日新聞を創刊します。以後、共
同経営者の上野理一らとともに発展に尽力し、日本を
代表する新聞に育てました。
美術にも深い関心を寄せ、岡倉天心達の主宰する
美術雑誌『國華』の経営も引き受けています。開国後、
多くの価値ある美術品が海外へと流出し始めると、それ
を食い止めたいという思いから美術品の蒐集に力を注ぎ
ました。刀剣にはじまり、仏画、墨蹟、古筆などの名品
の多くを大正に入るまでに集めたということです。
9月8日には射水市 道の駅 カモンパーク新港で水槽の鯛
をじっくり観察した。よくある鯛だが、この絵はよく描けている。
食事は 白えび で有名であるようだ。
観光案内所により海王パークへ行く。海王丸の帆上げは年
数回。今月は22日とかで見ることができなかった。その後時
間つぶしに日帰り温泉「海王」でゆっくりし、審査が終わった
妻を乗せて帰った。
入浴600円だがこの日は特別ざるそば350円、塩分多い天然
かけ流しである。
