宇治茶 「正喜撰」はいつ茶名披露されたか。「上喜撰」は?
<新資料> 画像 古文書 サイズ (横)22 ×(縦)15.5
文久は文久元年と思います
「正喜撰」 領収書 文久 三月五日 喜多屋平作
宇治茶のブランド品「上喜撰」の存在は木版画で確認
できます。全国知られていました。
今のところ上記の資料で「正喜撰」はペリー来航後8年
までさかのぼれます。引き札などの定価表にもでており、
地方でも誰も知らない人はいなかったようです。
現在では「上喜撰」は狂歌を知っている人以外忘れ去ら
れてしまったようです。喜撰の上物などというような解釈
まであります。しかし、当時はブランド品として全国に知
られていたようです。
昭和初期にできた上方落語にもでてきますが「上喜撰」と
「正喜撰」が入れ変わって語られています。
二つの銘柄の接点はペリー来航の嘉永6年と思います。
名狂歌はその直後の作、正喜撰登場も同様でしょう。
naganoukiyoeのブログ(NUEネット資料館ーお茶ー)