私は母の面影や祖父の面影を見習い自己努力を行なって来て今に至ります。
私は初めからこんなに強調的な主張する人間では無かった。
欲の渦の中で母が起業して苦労する母の面影があって自己努力を欠かさなかった投資家として
日々を過ぎる内に方向を変えました。
私は口数は少ないが、考慮深いのです。
私は母の起業に相談役になり母は父親に社長の座を譲り自分は事務員になって大きな企業にした。
私は祖父「司法書士兼元早稲田大学教授」に幼い頃学び、黙って子供らしくない子供だった。
そこには奥ゆかしく前には余り出る事は無かった、しかし世の中には資産を保有してはいけない人がいます。
私はまず足元を固めて学び資産を保有して行く方針だった、そして考慮して事にあたっていた。
そこで若い頃に稼ぐだけ稼いである一定の年齢には落ち着いて次の事をして進歩しようと思い日々を
暮らしていたが、世の中は上手く行かない物で愚かな人間に会うものです。
学ぶ方は一定の年齢には生活費は増える物と理解します。
私は給料は貰う物では無く得る当然の権利と言われる程に努力してきた。
ここにはランニングで放送はされてないがマラソンでトップを走っていた記憶にある。
ランを重ねる事にジムでトレーニングした記憶もありましたがマナーが乱れて来たときには意見を言わないと
いけないと思い意思表示は行わないといけないと思って余り出掛けるを避け出来る事を行おうと思いました。
そして子供たちは自立するまでは守らないといけないと思ってます。
そして思い出すのは元ボクサーの輪島さんとの思い出です。
私がお団子売るアルバイトを行なっていた事もあり思い出深いです。