株はがまん☂☃ が出来ないさんのブログ
ブログ
電力株はいつかったらいいのか
東電と地方電力は別だ。
いつか買うがわからない。
玄海原発 4号機でも 耐震評価データ誤入力
ミスで自動停止した玄海原発4号機が運転再開へ(11/11/01)
発電・送電分離の議論について
【2011/11/17】衆・決算行政監視委員会(原子力関連
-
関連銘柄:
中部電力(9502) 九州電力(9508) 東電HD(9501) -
タグ:
東電と地方電力は別だ。
もう駄目だと思った時だと思います。
コメントありがとうございます。
そうですね、東電と地方電力は別ですね。
でも、電力株は売りでしょう。
東電はどうなるかわかりません。
今の電気料金制度に問題点がないかを検証する経済産業省の有識者会議の初会合が開かれ、出席者からは電気料金が適正に設定されているか第三者が継続的に評価する仕組みを検討すべきだなどという意見が相次ぎました。
この有識者会議は、福島第一原子力発電所の事故を受けて、東京電力の経営や財務状況を調査した国の委員会が、今の電気料金制度について、電力会社のコストが割高に見積もられるなどの問題点があると指摘したことを受けて設置されました。1日の初会合で枝野経済産業大臣は「今の電気料金制度には改善すべき所が少なからずあるので早急に結論を出したい。これまでのしがらみにとらわれず、ゼロベースで議論してほしい」とあいさつしました。会議では、学識者などの委員から、電気料金のコストにはオール電化の宣伝費や業界団体への寄付金などが含まれているが、利用者が納得できるのか疑問視されるとか、電気料金が適正に設定されているか第三者が継続的に評価する仕組みを検討すべきだなどという意見が相次ぎました。会議では、年明けの早い時期に電気料金制度の運用面の見直しについて結論をまとめることにしています。
原発がなければ電力が足りない? シェールガスがいくらでもある? メタンハイドレードがよい? 天然ガスだけが有望? ・・・エネルギーや電気についてさまざまな意見が飛び交っています。
この中で普通の人が何が将来のエネルギーとして適当かを判断することはまず無理と思います。それは学問的なものだけではなく、利権や思想などが複雑に絡み合っているからで、またエネルギー問題というのは多くの環境問題の中でも飛び抜けて複雑でもあるからです。
でも、簡単な方法があります。それは「電力を自由競争にする」と言うことです。現在は電力事業が国の統制下にあり、火力発電はほぼ自由ですが、原子力発電は国が原爆(爆弾)が欲しいので、1年に約1兆円の補助をしています。
電力の総売上は約15兆円で、利益率は3.5%ほどです。その中で原発が30%程度を占めています。利益率は原発の方がよいので原発の総売上は5兆円、利益率を5%とすると、2500億円の利益になります。
つまり、電力会社の表面上の利益は原発が2500億円と大きいのですが、国が1兆円を支出しているので、結局原発は実質7500億円の損失になります。もう少し辛く考えても、直接的な国の援助だけ(研究開発費、地元交付金など)で5000億円ほどを出していますから、実質2500億円の赤字になります。
電力会社の経営者に取ってみれば、国が原発にお金を出してくれるので、実質赤字でも原発の方が儲かるという奇妙なことになっているのです。これは個人が太陽電池をつけるときと同じで、「乞食根性」、つまり自分だけでは赤字になるが、他人のお金を当てにすれば商売になると言うことです。
だから、もし国家が「原発推進政策」をやめて電力の自由にすれば、電力はリスクが高く、収益性がない原子力をやめて、火力発電所を主力にしてやっていくと思います。
(電力会社は東電ばかりではなく、九州電力、北海道電力などがやらせメールなど間でして、原発をやろうとしています。電力は公益事業ですが、「国が税金を出してくれるから、原発はお金になる」という理由だけで原発を強行しようとしているので、全く支持することはできません。しかし、長期的には(1000年後)原発などの電源も必要になるかも知れませんが、1000年後のことは今、考えても無駄です。・・・1000年前は紫式部の世界ですから・・・)
・・・・・・・・・
第二の問題としては、これほど社会では「太陽光発電などの再生可能エネルギー」が有望だと言っているのに、電力は電力中央研究所など長期的な電源確保の体制も持っているにもかかわらず、なぜ「再生可能エネルギー(科学的にはあり得ないが)」を開発しないのでしょうか?
「税金をもらう」というのは不健全なことですから、電力会社のような資金豊富な会社が将来を見て開発し、かついわゆる再生可能エネルギーが有望なら、研究をやるはずです。でも、太陽光発電にしても他の方法にしても、火力発電より2倍から3倍のコストがかかるので、健全な民間企業ならやらないでしょう。
科学的な発展は、原理原則や基本的技術ができてから30年ほどで実用化され、もしその時期に実用化されないようなものは、仕切り直しになるのが普通です。蒸気機関と蒸気機関車、電気と電灯、半導体とトランジスタなどいずれもこのような経過をたどっています。「超伝導」のように発見から80年ほど経って、注目され、膨大な補助金が投入されたような礼は実用化が難しいのが普通です。
つまり、もし国がいらぬちょっかいを出さずに原子力の補助金も含めて、民間企業として自由競争の中に電力を位置づければ、コストの安い火力発電だけになり、その中でも自然に天然ガスとか石炭などになり、我々が何が有望かなど考える必要もなくなります。
電力会社が悪徳でも、近いうちに石油や石炭がなくなるか高騰するとわかっていれば、それに対する原料の代換えを考えるのは、ごく普通の企業活動だからです。
つまり日本の電気代をアメリカ並みにして、エネルギーの選択を正しくするには電力を自由競争にすればよく、そうすると税金も格段に安くなると言うことがわかります。消費税の増税をやめて電力の自由化をするべきでしょう。
今のエネルギー論争のほとんどは、自分の研究にお金を呼び寄せたいというような不純な動機のものが多いようです。一人一人の専門家が空気を事実としたり、自らのお金や名誉を優先するのではなく、明治天皇がご誓文で言われたように「万機公論に決し」て、日本の将来、日本の子供たちのために魂を呼び戻して欲しいと思います。
ものごとには「原理原則」と「タイミング」があります。原理原則もとても大切ですが、あまり原理原則だけを強調していると、かえって原理原則から離れてしまうこともあります。たとえば、日本のエネルギー、電気をどうするの?という時に、何種類かの考える基準があります。
1) 石油や石炭などは究極的にどのぐらいあるの?(日本型思考)
2) 安く買える石油や石炭はいつまであるの?(アメリカ型思考)
3) 実際に自分の国が買うことができるのはいつまで?(中国型)
日本人は超まじめですから(洗脳されているからといっても良いですが)、「石油があと500年でなくなるのだったら、世界に先駆けて我慢しよう」ということになり、「石油があるうちなら使って良いんじゃない?」などと言えばたちまちバッシングです。
大型車に乗ったり、海外旅行に行ったり(航空機で燃料の石油をたっぷり使う。ヨーロッパ往復なら1回で一人あたりレジ袋300年分の燃料)していても、それを棚に上げて「節約、節電!、レジ袋追放」と叫ぶとよい子になるという日本社会は困ったものです。
「500年でなくなるなら400年ぐらい経ったら節約すれば良いし、それまでには放射線の出ない核融合ぐらいはできるだろう」とアメリカはまず考えます。事実、アメリカは自動車用輸送燃料にしても、原発にしても、また貨物用鉄道にしても、「脱石油」という政策をとっていません。
アメリカぐらいの大きな国になりますと、石油社会(正しく言うと「還元炭素系エネルギー社会」)を脱石油するには50年はかかりますし、それでアメリカはだめになるでしょう。今でも世界の自動車用ガソリンの53%をアメリカ一カ国で使っているのですから、これを変えていくのは大変です。
でも、エネルギーについてはアメリカは現実路線です。「少なくともあと500年ぐらいはあるのだから、「石油はやがて無くなる」などという概念的なことではなく、当面は石油を使っても大丈夫」という考え方なのです。
中国はさらに現実的です。発展途上にあるので、少しでも発展するためには「石油の寿命」などと言っておられません。でも、これは日本でも同じで、不景気ですし、年金は不安定、国家は赤字経営ですから、決して余裕はありません。その点では発展途上で余裕のない中国と、発展はしたけれど行き詰まっている日本はともに余裕という点では同じか、それとも日本の方が深刻ではないかと思います。
また、資源学の鉄則に「パンがたっぷりあれば子供たちにゆっくり食べさせても良いが、パンが残り少なくなったら子供たちに争って取れと言わなければならない」というものがあります。競争相手のいるときには他人の子供を助けて、自分の子供に犠牲(餓死)を強いるというのは道徳的でも倫理的でもないという考えです(今の日本人。NHKアナウンサーが人の良さそうな顔で呼びかけるのも同じ内容)。
その点、中国が石油系燃料の節約をしていないのは、「石油系エネルギーがまだあるから」、「石油系エネルギーがもう無いから」のどっちをとっても同じ政策になるからだと思います。その点では日本もアメリカも、そして中国も同じなのですから、「石油が枯渇するから石油を節約する」という考え方がどこから出てくるのか、まともな資源論からは想像もできません。
石油系燃料はやがて無くなるかも知れません。短くて500年、長くて1000年、資源学から言えば1万年というところです。そのときに、タイミングとしていつから石油を節約し始めるかと言うことで、「石油は1万年後になくなる、だから明日から節約」というのはあまりに原理原則過ぎるように思います。
ところで現在の日本では「ためにする」ということが多く行われます。「本当は**したいのだけれど、それを直接言わないで他のことを言う」という方法です。エネルギーや電力問題がややこしくなるのは、たとえば「本当は石油を節約する必要は無いけれど、省エネ技術を進めれば日本の製品の国際競争力を高めることができる」とか「人間本来、節約が大切だが、それを言っても日本人は言うことを聞かないから、石油が無いと脅かした方が良い」というようなたぐいです。
これを「大人のやり方」と言うことがありますが、私は全くそうは思いません。民主主義というのは多くの人が合意することが必要ですから、「あうんの呼吸」とか「ためにする議論」をできるだけ後退させることが必要だと思うからです。
このようにエネルギーというものをしっかり考えると、「原発再開など関係が無い」ということがわかると思います。あまりに誇大妄想、原理原則だけを考えてタイミングを失っていては大きな損失をかぶります。世界の状況をしっかりと見極め「petroprincetdyno.12-(6:54).mp3」をダウンロード
てこそ「本当の大人」としての判断が可能になると思います。
(平成24年4月8日(日))
学校の先生は「誠実」でなければなりません。それは先生という職業は「他人の心、それも子供の心を左右する」仕事ですから、尊敬され、誠実でなければならないのです。医師が他人の体を傷つけ、裁判官が他人の自由を奪うように、これらの職業は「聖職」なのです。
その「誠意」とは、「みんなが言っているから」とか「常識だから」というだけでは不十分で、自分自身の魂に聞いて見なければならないからです。
今度の原発の事故がそうですが、影響の大きいことに携わる人は「まじめ」でなければなりません。この「まじめ」とは「間違っていることはわかっていても、社会がそう言っているから」とか「空気の通りしておけば無難だ」というのではなく、「自分の専門性から考えて何が正しいか」という魂が必要です。
・・・・・・・・・
今の教科書を見ると、エネルギーや電力のことは、「石油・石炭は近いうちになくなる」→「それに石油石炭を焚くとCO2がでて地球が温暖化する」→「温暖化すると南極の氷がとけてツバルが沈む」→「だから節約して、原発か自然エネルギーにしなければならない」→「もともと節約は大切なことだ」という筋道で仕上がっています。
この説明の中で、「アメリカや中国は脱石油も脱石炭もしていない」、「CO2の削減(1997年の京都会議の時を基準にしてマイナス)をしているのは世界で日本だけ」、「温暖化すると南極の氷は増える」、「ツバルの海水面は9センチ下がっている」、「アメリカ人一人あたりの消費電力は日本人の2倍で、電気料金は2分の1」、「節約は個人生活での道徳であり、科学とは違う」というような重要なことは一切、触れられていません。
「お上はそう考えている。君たちもお上に従え」と言っているのが教科書です。戦前、戦争を賛美した教科書を批判した人たち、今の政府の要人になっている日教組の人たちは何が信念なのでしょうか?
社会が利権にまみれていても、子供たちは未来の日本を作る人たちです。その人たちが自分でデータを検討せず、自分で考えず、お上の言うことをそのまま子供たちに伝える現状はきわめて危険です。
私は教育を担当している人が、もう一度、自分が子供たちに伝えているのは、世界でも特異な空気的合意をしている日本社会だけの「空気的事実」ではないか? まずは「世界の動き」、そして第二に「科学的事実」を子供たちに伝えるという魂を持ってもらいたいと思います。
「節約」は大切ですが、それは「事実」や「科学」とは違い、普通の女性を「魔女」として火あぶりにした時代の考えです。節約は人生を豊かにし、幸福にしてくれますが、それと石油が足りないとか、CO2で温暖化すると言うこととは違うのです。
また、アメリカ人が2倍の電気を使っているという事実は、節約とは関係がありません。日本の電力会社が地方独占で放漫経営を続け、その結果、福島原発を爆発させ、電気代を2倍にしていたと言うことだけなのです。
「節電は良いことだ」と子供に教え、その基本は「東電を手助けする」のではどうにもなりません。なぜ、日本人だけはCO2を削減して、節電しなければならないのか、節電は良いことでも、なぜ自分の自由意思ではなく、強制されるのか、それを考えてもらいたいと思います。
もしこのブログをお読みの方の中に学校の先生がおられたら、「思想」を重んじるばかりに子供たちに「間違った科学」や「間違った事実」をお教えていないかをもう一度、振り返ってもらいたいと思います。
かつて「北極の氷が融けて海水面があがる」という報道があり、それをそのまま教えていた先生がおられました。環境省は後に「北極というのは北極圏のことであり、北極圏にはシベリアも含む」という意味の無いいいわけをしていましたが、テレビでは北極海の氷が融けてシロクマが右往左往している映像が出ていました。
もちろん、アルキメデスの原理があるのですから、海に浮かんだ氷が融けても海水面は上がりません。もし北極の氷のことを社会科で教えていたら、理科と社会科で異なることを教えていたことになり、大きな問題です。
「紙のリサイクルをすると森林を守ることができる」とか「森はCO2を吸収する」でも理科と社会で違うことを教えていました。理科では光合成の原理を教えるので、森はCO2を吸収しませんが、社会では大人の間違いをそのまま子供に教えていたと言うことです。
エネルギー問題ついて国民の選択が大切なのに、教科書で事実と異なることをこれほど長い間教え続けていると言うことに対し、教科書を執筆したり審査したりする先生、それを使って教える先生は「国が正しいのだから」というのを捨てて、新しい憲法の下、教育の自主性を発揮してもらいたいと思います。
「educationtdyno.39-(10:16).mp3」をダウンロード
(平成24年4月13日(金))