無縁社会という言葉に積極的な意味を与えられるか?

八歩さん
八歩さん

毎朝SNSでご挨拶を書き込んで日常雑感をやりとりしている方が2人います。私は、そのコミュニティに参加して2年少々ですが、お二人はその前からのお付き合いのようです。睡眠障害で働けなくなり、朝、朦朧としながらも、生活のリズムを取り戻すために懸命に起きて、「おはようございます」というコメントを、書き続けた二年前の4月・・・・・・その頃のコメントはSNSには残っています。いつか、振り返ってみて、それを圧縮して作品に仕上げてみたいような気もします。一般公開ではなく、自分のために。このSNSのコミュは、オープンなコミュニティなので、入ってくる人があり、いつの間にか音信が途絶え、またつながることもあり、それっきりになることもあるという、淡きこと水のごとし、というお付き合いをしています。お一人は、ほぼ同世代の技術系の腕でお勤めの方。昨年、一度お目にかかりました。一度でも、お目にかかり、名刺交換を行うと、もう、初対面なのに旧知の間柄になります。これが、ネットを活用した付き合いのすごいところですね。もう一人は、ふた回りほど年長のかたで、錚々たる実績を残していることをにおわせもせずに、奥様やお孫さんと一緒に出かけたり、絵を描いたり、そとでお酒を飲んだりしています。 こういう穏やかな老後を、人生の最後のご褒美にいただけるとしたら、今の苦労はあまりつらくないです。この方が私にとってのベンチマーク対象なわけです。この方が孫娘さんとデートしてもらえるのも、絵心のおかげでしょうか。専門の挿絵画家が描くような水彩画の写真をメールでいただき、しばらくPCの壁紙に使用していました。 私も、まだ見ぬ孫(娘も息子も学生です、まだ結婚もしていません)と遊ぶことに憧れにも似た感情を持ちました。渋谷の文化村で昨日まで行われていたレンピッカの展覧会に、この先達さんはお孫さんと行ったところ、そこで偶然にも、奥様が、男の孫を連れて見に来て、偶然会いましたということを書かれていて、いいなあ・・・・と思ったわけです。レンピッカという画家のことは今回の車内告知で初めて知りました。レジェ、ブラック、ピカソの流れを汲んでいるように、素人の直感が働きましたが、同時に東郷青児、藤城清治を連想しました。少し調べてみると、レジェ、ブラックなどを連想するのは筋が良かったのですが、藤城清治はちょっと素人としても論外だね・・・・という感じでしょうか。でも、女性モチーフの商業利用したくなる絵ということで、平素から散文的な小生には、どこかで通じるものを感じたわけです。ここから、最近考えていることにつながっていきますが、ネットで検索することで、これまで無縁だったものとの接点作りは容易になってきました。これを、深めるのか、上滑りになるのか、それとも、ネットはわからないと言ってひきこもるのか・・・・・・ということがこれから大きなテーマになると思います。これに対してなにかできないものか・・・・私のアンテナに何かが引っ掛かりました。キーワードは、無縁=インターネット インターネットの接点によって開始された縁 がこれからの無縁社会 である、という文脈が成り立つかどうか、ということです。
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