スタンフォード大の先生であるティナ・シーリグが書いた本です。本屋さんで、いくつになっても人生は変えられる、と帯に書いてあったので、手にとり、読み始めました。手元に5ドルあったとして、どのようにそれを増やすことができるか、という話の展開に魅了され、買いました。
「あなた自身に許可を与える」というのが著者のメッセージです。常識を疑う許可、世の中を新鮮な目で見る許可、失敗する許可・・・・。最終章の最後あたりに、「快適な場所から離れ、失敗することをいとわず、不可能なことなどないと呑んでかかり、輝くためにあらゆるチャンスを活かすようにすれば、限りない可能性が広がる、ということでした。もちろん、こうした行動は人生に混乱をもたらし、不安定にするものです。でも、それと同時に、自分では沿う想像もできなかった場所に連れて行ってくれ、問題はじつはチャンスなのだと気づけるレンズを与えてくれます。何よりも、問題は解決できるのだという自信を与えてくれます。・・・・次のカーブに何が待ち受けているのかわからなかったが故に抱いた不安です。将来が不確実なのは歓迎すべきことなのだ、と誰かが教えてくれればどんなにかよかったのに、と思います。」
上記の記述から2つのことを思いました。
一つはカーブの話は赤毛のアンの話と同じだということ。「角を曲がったら・・・」の話と同じだということです。
もう一つは平澤興氏(元京大総長)のことば。どこかで読んだだけで、正確には覚えていないのですが、「すべての人間には、自分でも気づいていない無限の可能性を持っているのだが、それはあくまでも可能性であって能力ではない。可能性を能力に転換するには、努力をするしかない。」努力を続けるには、努力の対象に価値や意義を見出していなければならない。「20歳・・・」の本の中でも、スキルと情熱と市場が重なった場所を見極められたときに、自分の居場所を見つけることができる、と言っています。
この本の訳者がこう書いています。
「諏訪東京理科大学の篠原菊紀教授によれば、遺伝子的に、ドーパミン第四受容体の遺伝子内塩基の繰り返し数が多いほど「新奇探索傾向」が強く、セロトニンが少ないと「損害回避傾向」が強まるそうです。ちなみにある調査では、新奇探索傾向の強い日本人が7%であるのに対してアメリカ人は40%、損害回避傾向の強いアメリカ人が40%であるのに対して日本人はなんと98%だったそうです。」
遺伝子の問題といいますが、足が短い、という日本人のスタイルはすでに変化しています。このことは浅田真央ちゃんを見ればわかります。可能性を信じて努力することの楽しさを経験できれば、どのような調査方法かはわかりませんが、遺伝子配列問題をそう気にすることはないと思います。「へぇ~、そうっだのか」「もっと知りたい」という感覚は誰しも持っています。この観点から、新奇探索傾向の定義も問題も出てきます。奇抜なアイデアを出す人の比率がアメリカは高いから、グローバルな分業体制をものづくりの面でもカネ回りの面でもグローバル化を推進したのかもしれません。日本人は日本人なりの新奇探索活動をいろいろなレベルで行っていけばよのではないでしょうか。ただ、新奇探索活動をどのような分野で行うかを個々人が決定する際には、日本というローカルかつ身近な視点とグローバルな視点の両方をバランスさせることは重要だと思います。
日経新聞に連載されていた「有馬稲子」の私の履歴書の中で、宇野重吉が有馬稲子に送った言葉がやっぱり大事ということでしょうか。
いろいろたいへんだったようだけど、
これからが正念場。
ゆっくり、
たっぷり、
きっちり
・・・とね。
4月は、週4日のペースで日記を書こうと思ったのですが、実現できませんでした。もう少し、ゆっくり、かな?