茂木健一郎先生の「『赤毛のアン』に学ぶ幸福になる方法」(講談社文庫)を読みました。赤毛のアンは妻の大好きな本で、その影響で、プリンスエドワード島にも行ったことがあります。映画も見ました。たまたま本屋で目にしたので、読んだというわけです。
茂木先生は、赤毛のアンの大ファンだったそうです。孤児だったアンが結局幸せになったのは、2つの奇蹟に巡りあえたから、というのが茂木先生の診断です。一つはマシューとマリアに引き取られたこと。もう一つはギルバートというパートナーとめぐり合えたこと。幸福になる方法は奇蹟に出会うこと、というレッスンが「赤毛のアン」から学べる、というのは先生の主張です。
ここでいう奇蹟とは、死者が甦る、といったことではありません。日常の中に隠れている小さな奇蹟のことです。どんなにつまらない日常でも、思い切って意識を変え、全てを「奇蹟」だと思って眺めてみることが、幸福に至るための道の第一歩ということです。そのためには、ひたむきに生きる必要がありますが、ひたむきに生きるには、自分の理想や世界観など、何か核になるものが必要です。アンのように、自分の理想とする世界や、美の基準、善悪の判断など、現実の社会とは別にある真実の理想の世界・理想のビジョンを持つ必要がある、ということです。
茂木先生は、グーグルやアップルには理想とする仮想の世界・ビジョンが明確にあるし、絶えずアップデートしている。その理想の実現に向けて自社の使命を自らに課している、と議論を展開しています。明確なビジョンを持った日本企業は少ない、ということを先生は示唆しています。
新しい理想の世界を描くためには、澱んで固定化された毎日や考え方に「揺らぎ」を与える必要があります。実際的な目的から離れて、ふらふらと別のことをしてみることを茂木先生は勧めています。遊び心を持ち、ふらふらと行動しみて初めて、意外な幸運や奇蹟に気づき、その奇蹟を理解し、そして最後にそれを受容する、ことで、理想のビジョンが鍛えられ、日常の生活の中で感動する機会を増やすことができる、ということを先生は述べています。
この行動・気づき・理解・受容という一連の流れの中で、最も難しいのが受容だとしています。「自分は〇〇だから、そんなことはできない」としてしまうのです。騙されないのは小人だというのです。いい感じに騙されてみる必要がある、ということです。
いい感じに騙されるためには、現実と仮想のバランスが必要です。現実の延長としていろいろなものを詰め込み過ぎているが故に、未来に希望を持てない人々が日本の社会に多くいるのではないか、と先生は分析します。未来に空白がなければ、希望は生まれない、ということです。未来に空白を作るためには、現在に空白を作り、偶然や幸運は入り込む余地を作る必要があります。
赤毛のアンのラストシーンのくだりが先生の主張を象徴しているように思います。(先生自身がその部分を掲載しています。)
目の前にのびている道が狭くても、道ぞいに静かな幸せの花が咲き乱れていることをアンは知っていた。まじめに働く喜び、価値のある志を抱く喜び、気の合った友達を持つ喜び――そのどれもが、アンのものになるのだ。アンが生まれながらに持っている想像力や理想の夢の世界は、だれにも奪うことができないのだ。それにこの道はいつだって、その向こうになにが隠されているかわかわらない、あの曲がり角があるのだ!
「神は天にあり、この世はすべてなにごともなし」
アンはそっとつぶやいた。
明確なビジョンがなければ、大胆なイノベーションへの挑戦は継続されないのではないでしょうか。だとすると、The Economistが主張するように、中国を含む新興国が、20世紀型の商品やサービスに対応するだけでなく、Frugal Innovation(節約型イノベーション)を展開するとすると、日本企業はいまこそ曲がり角の先に何があるかわからないイノベーションに挑戦する必要があると思います。しかし、そのためには、わくわくするビジョンを描く必要はあります。
ということで、わくわくするビジョンを打ち出しているか否かが一つの投資基準ということになります。曲がり角の先の世界とそこでの自社の立ち回りを示してくれる企業に、人もお金も集まる世界を見てみたいと思います。