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澤上篤人の長期投資学~ちょっと先を読んでみよう
■日本経済このままいくと、どうなるのだろう?
ほとんどの人が、「日本経済いまもひどいが、将来もっと大変なことになるのでは」といった不安を感じながら、毎日を送っているのではなかろうか。書店には「日本経済の破たん」とか「国家財政・国債・円はどうなるか」といった類いの書物が山のように積み上げられている。それだけ将来不安におびえる人が増えているからなのだろう。
たしかに、この20年というもの、日本経済は成長らしい成長をみることもなく、ずっとジリ貧に喘いだまま。その横で、国の財政赤字や国債発行残高はうなぎ登りに増加しており、ますます将来を重苦しくさせている。今年中にはいよいよ世界第2位の経済大国の座を中国に奪われるといわれても、ただアキラメ顔。
なんともダラシない日本経済の現状だが、国全体に「この悪循環をなんとしてでもブッタ切らなければ」の覇気も覚悟もなく、ただオロオロするばかり。政治は相変らず利益誘導型の予算をバラ撒くことしか考えず、産業界や国民を沸き上がらせるような成長戦略をさっぱり打ち出せない。国民は国民で、年0.1%~0.3%の富(利息収入)しか生まない預貯金にGDPの1.6倍もの資金を眠らせておいては、景気が悪い所得が減ったと嘆くばかり。宝の持ち腐れもいいところ。
企業も多くは懸命に生き残りの努力を重ねているものの、世界で一番重い法人税や硬直的な雇用基準に足カセをはめられたまま、激化一途のグローバル競争にさらされている。厳しい環境に置かれているのは輸出企業だけではない。国内産業全般も製品やサービスの輸入という形で、世界との競争に直面させられる。
縮小均衡の下り坂を転げ落ちている日本経済で、果してどこまで雇用や給与水準を守れるか楽観はできない。ちなみに先進成熟国の欧州や米国では失業率が10%近くと、日本の2倍の水準である。このままだと、そのうち日本の失業率が一層の悪化をみることも覚悟しておきたい。
とりわけ懸念されるのが、中小企業の経営である。仕事が減り資金繰りに苦しんで倒産や廃業が相次いでいる。モノ作り日本にしても世界第2位の経済大国にしても、その90%前後は中小企業が担っている。なにかにつけて大企業が表面に出るが、雇用にしろ生産額にしろ圧倒的に多くは日本の中小企業が支えているのだ。その中小企業がどんどん消え去っていくのは、日本経済にとって由々しきことである。こう書いてくると、日本経済には問題ばかり。先行きどうなるのか、いくらでも不安に思えてくる。
■まだ余裕がある?
さて、ここからは一人ひとり生活者としてどう思うかを考えてみよう。日本の将来が不安とかは横へ置いて、自分自身の現実として考えるのだ。
手はじめに嫌な想定をしてみよう。かりに勤め先の会社の経営がいよいよ厳しくなって、早期退職の道を選ばざるを得なくなったとしよう。そういう状況だから、退職金はほとんど期待できない。失業保険を申請すれば、しばらくは食っていけるが長くはもたない。さあ、どうする? どうするこうするもない、とにかく新しい仕事を見つけなければ、家族ともども生きていけない。できれば前の会社と同じような仕事につきたい、そうすれば土地勘もあるから気分的に楽だし新しい職場にも貢献できる。とはいえ、希望通りの仕事がみつからなければ別の仕事を探すしかない。
給料は下がるかも? なんとかこれまでと同じくらいの給料をもらいたいが、失業の身でぜいたくはいっておれないから、新会社から提示された条件を受けざるを得ない。それよりも仕事確保が優先だ。なにはともあれ、家族が食っていけるのが一番。こんな展開で、本当にやむを得なくなれば、人は「それなりに行動をはじめる」もの。一人ひとりが「このままではマズイ。なんとかしよう」と自助の行動に移れば、それが集って日本経済は自律的に活性化する。
いま、身のまわりを見渡すに、一体どれだけ「それなりの行動」が認められるだろうか? 現に失業されている方々には申し訳ないが、ほとんどの人々は漠たる不安を語りながらも、なんら行動していないはず。それだけ、まだ本当に切羽つまった状態には至っていないのだろう。なんだかんだいいながらも、普通の生活を続けている。日本全体ではまだまだ余裕があるのかもしれない。
■地方から新しい動きがはじまる?
いましばらく日本経済のジリ貧と低迷が続くと、いよいよ動きが出てくるに違いない。政治をはじめ日本全体のダメぶりに「もうつき合ってはおれない」「自分だけでも、なんとかしなければ」の動きが、いずれ全国あちこちでみられるようになるのだろう。以前から繰り返し書いている、経済的自立の動きだ。
自助による経済的自立の動きは、おそらく地方から高まってくると思われる。国の公共事業は激減したし、これといって元気あふれる産業も育っていない地方の現状は本当にひどい。仕事がないから若い人達が都会へ移り住む流れは止まらないし、最大の雇用先である自治体の財政赤字も膨れ上がる一途である。地方ほど人口構成の高齢化が急ピッチで進んでおり、それが社会保障関連の出費を否応なく増大させる。反面、就労人口は少なく税収額は上がらない。なんとか国の予算を確保しようと政治家を動かしたり、中央政府に陳情を重ねてきたが、いまや国庫も借金の火ダルマ状態にある。
そうはいうものの、田畑もあり年寄りが食うだけならなんとかなる? そういっている人が大半かもしれない。しかし、世界経済は成長し続けており、エネルギーや工業原材料あるいは食料・水などの需要はコンスタントに拡大している。長期的トレンドとして、モノの価格上昇圧力は強まるばかり。いつかどこかで、デフレ下の日本にも世界の物価高が伝播してくるのは避けられない。そうなると、現金収入が年金だけの高齢者には辛い。公共料金の引き上げや諸物価の上昇で頼みの預貯金は急速に目減りし、いよいよ生活していくのがきつくなる。やたらと不安感を煽る気はないが、ちょっと先を読めば「いくらでも、あり得るだろうな」と考えられるはず。
よく「デフレが続いている日本では物価の急激な上昇など想定できない」という人もいるが、そんな日本のモタモタなどお構いなしに世界の成長意欲は高まり続けている。デフレ経済だからこそ、雇用不安や収入減に日本中が苦しんでいるのだ。そこへ、海外から物価上昇の津波が襲ってきたら、いまでも厳しい経済状態にある地方の人々にとっては、お尻に火がついたどころではなくなる。
■動き出せば、先を走る人が見えてくる
これも人間の心理だが、日本経済の将来が不安だとかを評論家然として語っている間は、まだまだ余裕がある。全体をボヤーッと眺めては、他人事のようにとらえているだけのこと。そのうちに自分のお尻に火がついてくると慌てて走りだす。「これはマズイ」と自助の行動に移った瞬間、もう誰も全体のことなど構いはしない。自分の飯代をどう稼ぐかで必死になる。
おもしろいもので、自分の飯代をどう稼ぐかに焦点が絞られてくると、もはや日本の政治がどうの経済のジリ貧がこうのは、どうでもよい。それよりも、明日の飯代をどうするかだ。明日の飯代といった現実の問題をどう克服していくかとなると、物事を具体的に考えざるを得ない。実際に行動しなければならないのだから、どうしても具体的な成功モデルを参考にしようとする。
ここまでくると早い。先行して成功の途についているモデルに人々の関心が集れば集まるほど、そちらの方向へ人もお金も動いていく。当初こそせせらぎだった流れが、そのうち小川になり、さらには奔流となっていく。気がついたら、もう誰も止められない大河のとうとうたる流れとなってしまっている。世の中が動く時は、こんなものだろう。一般大衆の間で我も我もの流れがはじまると、いつかは大河となり歴史を動かすことになる。
ここで長期投資の出番となる。日本には個人の預貯金マネーがGDPの1.6倍もある。その5%でも長期の株式投資に向ってくれたら、日本経済はたちまち活力を蘇えらせるし国民の所得も増加するだろう。成熟経済では「自分も働くが、お金にも働いてもらう」ことで、個人も国も経済的基盤を確かなものにしていけるのだ。
すでに多くの人々が長期投資をはじめており、その成功モデルが見えはじめてくるのも、そう遠い先ではない。経済的自立に向けて行動しようという社会ニーズが高まる一途の日本で、われわれが長期投資の先行モデルを世に呈示できる意義は大きい。(情報提供:さわかみ投信代表・澤上篤人 2010年3月11日記)
澤上篤人
このシリーズも結構興味深いです。
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