ユリウスさんのブログ
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春隣り
冬とはいうものの、梅ノ木などをよく見ると、しっかりと蕾がつき春の日差しを待っているのがわかる。もう冬が終わりだと感じる。
俳句の冬の季語に「春近し」とか「春待つ」とかがある。翔年はこういう直接的な表現より、同じ意味あいでも「春隣り」というようなしゃれた表現が好きだ。
官職にありながら、あまり昇進の機会に恵まれなかった清原深養父に、春を待つ心を詠んだこんな歌がある。
冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける 清原深養父
これは隣りの家の方から飛んできた雪をさえ、花と見る気分の歌で、季語の「春隣り」にぴったりの歌だ。前書きに「隣りへ詠みてつかはしける」とあるから、きっとお隣さんへ「こんな歌をよみましたよ」とご挨拶したのだろう。風雅なものですね。
本来の「春隣り」の句、どれも素晴らしい。
産科とふ名札はたのし春隣 中村汀女
初孫が生まれ、産院を訪れたおばあちゃんの心境だろうか?
足取りも軽そうで春隣りにふさわしいなんとも結構な句。
春隣吾子の微笑の日々あたらし 篠原 梵
初めて子供をさずかった父親の心境かな。
どこか知らんが元気が湧いてくる。
気をつけて死んでください春隣 山崎十死生
これはまた、厳しいご挨拶?
冬将軍に別れをつげる句だと思うがどうでしょう。
寒梅(=冬の梅、冬至梅)
清らかに住み古る家や冬至梅 桜木俊晃
寒梅やよきこゑとして老いのこえ 森 澄雄
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