「悲観主義者は、機会の中に難しさを探す。
楽観主義者は、難しさの中に機会を見いだす」
との言葉がありますが、物事をどのように捉え
るかはその人によって異なります。そして、
そのことが結果を大きく左右します。
よく引用される次のような話があります。
ある靴メーカーが未開の島に営業マン二人を派
遣したところ、一人は「この島では靴を履く者
がいないので見込みはない。靴は売れないだろ
う」と報告し、もう一方は「この島は誰も靴を
履いていない!(たくさん売れそうだから)今
すぐ大量に靴を送れ!」と連絡したそうです。
「悲観論は気分。楽観論は意思の力」とも言
い、物事に悲観的になることは容易く、それを
理由に努力を放棄するのであればそれはそれで
楽な選択ではありますが、悲観的な気分での行
動が良い結果につながるのは稀なことです。上
記の例では一つの事象に対し全く異なる捉え方
をしているのですが、とっかかりのこの差はそ
の後の展開に大きな差を生じさせます。
聖徳太子の頃に遣隋使を務めた小野妹子の子
孫で、書道の神と崇められる小野道風(おのの
みちかぜ・おののとうふう)。小野道風は自分
の才能のなさに自己嫌悪に陥り、書の道をやめ
てしまおうかと真剣に悩んでいる頃のある雨の
日、蛙(かえる)が柳に飛びつこうと、何度も
何度も挑戦しているのを見かけます。初めは不
可能なことと蛙をバカにしていましたが、いつ
しか蛙を応援している道風。その時、偶然に風
が起こって柳がしなり、蛙は見事に柳に飛び移
ります。これを見た道風は蛙をバカにした自分
を恥じます。
一生懸命努力をして偶然を自分のものとした蛙
ほどの努力を自分はしていないことに気づき、
その後の血を滲むほどの努力をするきっかけに
なったといわれます。
花札で人物が登場する唯一の絵柄「雨(に小
野道風)」はこの場面を描いたものです。