今までを、振り返ると、特に、これといったものはない。ただ、体が丈夫で無い中で、それなりに努力してきた。これだけは、間違いない。しかし、努力すればするほど、世間から、ずれてしまっている。
世間でよくいう、楽しみといったものは無く、例えば、麻雀、競輪、競馬、競輪、囲碁、将棋などはなく、テレビを見ないで、ラジオを聴いてきた。
そのラジオも、ニュースとNHKの通信高校講座だった。
大学の通信教育で、23年半を費やした。特に、これといったものは無いが、知識の世界、学問とは、こんなもんかと知ることができたことは、宝物である。
同時に、生活基盤をしっかりとしたいと思い、株式をやってきた。持前の調べることは、生活の一環であるので、苦労という事は感じなかった。ただ、目の疲れがあると、倦怠感が何時も、生じて来た。これは常にある。
裸一貫の男が、高校卒の男が、普通のサラリーマン生活の中で、よく、ここまで、やれたものだと思う。これは性格が大きいと思う。努力する調べる性格だからである。しかし、今進行形なので、感激と言ったものは、全くない。
ここで、思い出すのは、石川島播磨重工業(IHI)の土光敏夫である。かれは、「めざしの土光」と言われ、贅沢はしなかった。明治の生まれで、皆、生活が苦しい中で、生きてきた人である。NHKの画面では、食卓に目刺しを食べる食事が、映った。家庭での庭仕事では、帽子は50年使っていて、穴が開いていた。ズボンのベルトは古いネクタイだった。どこかで、拾ってきたものだという。無駄を省く、使えるものは使うという生活である。この人が、目標である。
また、松下幸之助、本田宗一郎、井深大なども、影響している。そして、吉川栄治の「宮本武蔵」も、大きな影響をしている。
そして、私を信頼してくれる人には、何とかしてやりたいと思って、いろいろアドバイスしてみたが、そのほとんどが、無駄に終わってしまった。
これは、価値観が違う人には、言っても、無理だと言う事がわかった。一つの発見である。「三歳児の魂、百まで」というが、人を変えることは、まず、できないことが、わかった。これは、以前から分かっていたのだが、改めて、確認したのだ。
そして、ますます、孤独になって行くことも、感じている。これも、仕方のないことである。
そして、みん株のブログでも、やっと、自分らしい、ブログを書くことが出来るようになった。必要以上に、他の人とは同調しないのである。世間ずれした自分なので、このことは、よく分かっている。