(1ドル158円ですか。歴史は繰り返すというが、おそらく、しばらくして、どこどこの投機筋が、破綻したというニュースがでるだろう。こんな事を、考えるに、人は馬鹿だと思う。破綻した、経済を混乱させた投機筋には、全く同情はしないが)
よく、あの人は,だれだれの血を受け継いでいると言うが、私の場合、それはお爺さんである。お爺さんは、それこそ働き者で、家が農家なので、朝まだ暗いうちから畑に出て、働いた。近所の人が、起きてみると、お爺さんが、ひと仕事をして家に帰るところだった。近所の人は、このことを小学生の私に話した。
また、お爺さんは、当時では「やり手」だった。始めは、畑が少ないので、畑を売りに出す人から、畑を買った。その数は4か所くらいだった。
こんな、こともあった。雪が降ってきそうだと、お爺さんは、畑に出て、「ほうれん草」を取って、雪の降った日(この辺りでは積雪が、10センチくらい)に、自転車の後ろにリヤカーを付け、「前橋青果市場」に出した。それは、通常の3倍の値段がついた。他の農家は雪が降れば、野菜を、出さない日である。こんな事を予想して、畑仕事をしていた。その代り、寒い思いをしている。まあこんな風に、その場その場の機転がよくつく人だった。
こんな事を、お爺さんから学んだ。そして成人してから、今度は自分が、コツコツと、やり始めることに、それは、自然になっていった。まず、生活をしっかりするために就職し、収入を確保した。そして、雑誌から「給料の1割は、貯蓄せよ」という記事を見つけ、これを、実践してみた。
ある程度、預金が溜まったときに、会社で、株式投資をしている人の話を聞いて、今度は自分も株式投資を始めた。若い時にどんな人に、会うかで、その人の人生は、影響を、うける。
そして、このままではいけないと思い、慶応の通信教育を始めた。結局、振り返ると、今まで、学習、学習の人生だった。株は、調べる事に重点をおき、会社四季報、雑誌、罫線の本などを、読みあさった。これも、だいたい、うまくいき、退職時に、家を現金で、建てたこと。(まあ、これは、ねたまれました)子供、二人を、借金無しで大学までの資金を出したこと。そして、現在、ほどほどの、投資資金が有ることである。
「三才児の魂、死ぬまで続く」というが、私の人生は、お爺さんに、学んだことが大きい。