毎日が、戦いの日々が続く。戦いと言っても、他と戦うのではなく、己との戦いである。人は怠けやすい。だれやすい。そんな自己を見つめる、自己が「しっかりせよ」と、叱咤激励する。こんな毎日である。
禅宗では、己を捨てろという。しかし、己をすてることの、いかに難しい事か。こんな事だから、己を見つめる自分は、重要な存在なり。
自分をコントロールする自己(自分を見つめるもう一つの自分)は、こう言う。「目の前のやらなければ、ならないことを、やってみろ。それをどんどん、こなしている中に、おのずから、道はひらけてくる。」
そして、こう言う。「辛い時には、これが修行だと思えば、辛さが少なくなる。人生、修行なりと思えば、心が軽くなるではないか。」
そして、毎日が、その繰り返し。急ぐべからず。毎日が、不自由が常と思えば、不足はない。
静かに、呼吸して、静かに行動する。これしかない。ひとつずつ、片ずける。 さすれば、世の中は、広く感じるだろう。