尼僧物語 5年10月5日(木)22時21分

堅実さん

10月5日(木)の午後、テレビで、尼僧物語を見る。修道院に入った女性が、修道院の規則と、自らの葛藤を描いた作品。これは、日本の禅寺の雲水の修行に、似ていると思った。


修道院では、俗世間の事は、全て捨て、神と自分だけの関係というところが、厳しいと思った。


 日本の禅宗の雲水は、おのれを捨て、自我を捨て、ひたすら修行すれば、仏になれると言うのと似ている。


 キリスト教では、神と自分の関係だけだが、日本の禅宗では、他の物は、何もなく、ただ、ひたすら、無を求める。


 修道院とは、こういうもんかと思い、ブログにしました。新しい、知識が、身に付きました。


映画は、なかなかの作品だと、思いました。オードリーらしくない、演技です。名画に入るかな。

 

(ウイキより)

尼僧物語』(にそうものがたり、The Nun's Story)は、1959年のアメリカ映画。監督フレッド・ジンネマン、主演オードリー・ヘプバーン。

修道院に入りカトリックの教えに従い良き尼僧であろうとするものの、心の葛藤が捨てきれず還俗するまでの17年間の尼僧の物語を描く、キャスリン・ヒュウム(Kathryn Hulme)による同名小説(原題:The Nun's Story)の映画化作品である。実在のマリー=ルイーズ・アベ(英語版)の半生が描かれている。

 

9件のコメントがあります
1~9件 / 全9件
堅実さん
りす栗  さんへ

「尼さんというと、どーも、艶めかしさを衣に隠した色気、というイメージがわいてくる煩悩しかありません。」

確かに、世の中の、男を避けるのには、一寸、もったいないなーとも、思います。

「現実には婆さんばっかしかもですが(-^^-); 」

そうなんでしょね。現実は、うんざりするかも。
映画だから、美しく、とりまとめて、いると、思います。


堅実さん
tukumodayo   さんへ

「尼僧物語名作でしたね。オードリー・ヘプバーンが美しいですしね。」

やはり、名作ですか。

「ローマの休日の最後の場面で潤んだ瞳だけで永遠の愛を語る場面は、忘れられませんね。」

新聞記者との会話ですね。直接言わずに、それとなく、言ってましたね。

「オードリー・ヘプバーンが好きだった言葉が彼女の美しさの全てを表しておりますね。」

そうですか。

「魅力的な唇になるために、優しい言葉を話しなさい。愛らしい瞳を持つためには、人の良いところを探しなさい。スリムな体型のためには、お腹を空かした人に食べ物を分けてあげなさい。
大人になればきっと自分にも二つの手があることに気づくだろう一つは自分を支えるため、もう一つは誰かを助けるため。」

言葉は、その人の、生き方を変えることもあります。否定的な言い方ばかりすると、本当に、そうなってしまいます。これも、洗脳なのかと、思います。

堅実さん
kouboudaisi  さんへ

「そうですか。私が修行した千葉県の天台宗の寺ではそんな高尚な事はしておりませんでした。敷地が広いため、落ち葉清掃、築山や池の土木作業、草刈り、枝打ち、本堂や寺務棟や庫裏の清掃、仏器磨き、道路のグレーチングを外して落葉ゴミ掬い、ゴミ焼き、事務作業等山ほどの作務があるのですよ!朝昼晩の勤行をする以外の仏事の修行をする余裕などはありません。座禅をする時間などは無かったのです。住職からの説法なども殆ど無かったのです。」


これこそ、仏法でいう、修行なのではと、思います。

禅宗では、作務を重視しています。


堅実さん
パラちゃん  さんへ

「せいぜい座禅を組み、仏様には、南無南無して、神様には感謝するだけ
人様には迷惑をかけず、楽しく、生きてあの世に行ければと願うだけの
私には及びも付かない世界なので、ありがたい名画ですねぇ~   

こんな、楽しく、生きられたら、どれだけ、よいかと、思います。

りす栗さん
おはようございます。

尼さんというと、どーも、艶めかしさを衣に隠した色気、というイメージがわいてくる煩悩しかありません。
現実には婆さんばっかしかもですが(-^^-);

堅実さんへ

尼僧物語名作でしたね。
オードリー・ヘプバーンが
美しいですしね。

ローマの休日の最後の場面で
潤んだ瞳だけで永遠の愛を語る
場面は、忘れられませんね。

オードリー・ヘプバーンが好きだった
言葉が彼女の美しさの全てを表しておりますね。

魅力的な唇になるために、優しい言葉を話しなさい。
愛らしい瞳を持つためには、人の良いところを探しなさい。
スリムな体型のためには、お腹を空かした人に食べ物を分けて
あげなさい。
大人になればきっと自分にも二つの手があることに
気づくだろう一つは自分を支えるため、もう一つは誰かを
助けるため。

>日本の禅宗の雲水は、おのれを捨て、自我を捨て、ひたすら修行すれば、仏になれると言うのと似ている。


そうですか。私が修行した千葉県の天台宗の寺ではそんな高尚な事はしておりませんでした。敷地が広いため、落ち葉清掃、築山や池の土木作業、草刈り、枝打ち、本堂や寺務棟や庫裏の清掃、仏器磨き、道路のグレーチングを外して落葉ゴミ掬い、ゴミ焼き、事務作業等山ほどの作務があるのですよ!朝昼晩の勤行をする以外の仏事の修行をする余裕などはありません。座禅をする時間などは無かったのです。住職からの説法なども殆ど無かったのです。


こんばんわ、堅実さん。  
修道院では、俗世間の事は、全て捨て、神と自分だけの関係というところが、厳しいと思った。  

オォ~ 煩悩が、と~ても多い私には想像さえも尽きませんねぇ~  
アハハハ


せいぜい座禅を組み、仏様には、南無南無して、神様には感謝するだけ
人様には迷惑をかけず、楽しく、生きてあの世に行ければと願うだけの
私には及びも付かない世界なので、ありがたい名画ですねぇ~   


アハハハ!
堅実さん
堅実 です

今日は、自立反発で、上げましtが、15日くらいまで、今の株価水準で、動くのでは。ここでは、買い場だとは、思いますが。

値動きの激しい動きになるかも。

今日は6976太陽誘電を買いました。ボックスの動きです。小すくいの売買です。
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