(ウイキより)
慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発した。会津藩は佐幕勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。
会津軍の劣勢は如何ともし難く、白虎隊も各所で苦戦を強いられ、8月23日に、郊外の飯盛山へと落ち延びた。
白虎隊は若松城周辺から上がる煙を見て落城したと誤認し、自決を選んだという認識が一般に広まった。
貞吉が伝え残した手記『白虎隊顛末略記』を、会津藩士の子孫や研究家からなる「白虎隊の会」が2010年頃に親類宅で見つけ、若松城へたどり着くか、敵軍に斬り込むか「甲怒り、乙罵り、激論以てこれ争う」というやり取りがあったことを知った。
白虎隊の会は2011年、落城誤認説は誤りであるとする説明文を飯盛山に建てた。
入城か突撃か、いずれを主張した隊士も、敵に捕まり生き恥を晒すよりはと、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したとみられる。
映画
花の白虎隊(1954年、大映)
テレビドラマ
燃ゆる白虎隊(1965年、TBS)
白虎隊(1986年、日本テレビ)
白虎隊(2007年、テレビ朝日)
白虎隊〜敗れざる者たち(2013年、テレビ東京)
八重の桜(2013年、NHK大河ドラマ)
(結構、最近まで、ドラマ化されてますね。死を覚悟した、15歳から16歳の若者が、命を落としたことは、人々の哀れを誘うのでしょう。それと、真剣に生きた事に、共感するのでしょう。今のだらけた社会への批判にもなります。)
白虎隊 緑咲香澄
https://www.youtube.com/watch?v=K_BuU3tTJL0
小生は、小学生の頃、村の演芸会で、白虎隊を、剣舞として見たものだ。敗戦直後で、楽しみと言っても、特に無い時代。秋の収穫が終わり、11月に開演するのが通常だった。小学校の校庭に、簡単な舞台を作り、村人が集まって、見たものだった。
演芸会の出演者は、村内の者で、どこそこの誰が出ると、事前に知られていた。ほとんど、その時の歌謡曲だった。結構、下手くそなものを、面白がって見たものだ。村の娯楽といえば、そんなもんだった。
プロの芸人も、来た事がある。腹話術とか、「皿回し」などの曲芸である。プロだから、代金、払ったのだろう。浪曲師も来たことがある。子供でも中味が分かり、人とはそういうものかと、子供なのに思ったものだ。