どうか解らないが昭和60年に一京円を
貯めて平成の時代に歌謡曲、映画、番組、ショーパブで
運用して現在の日本を当時は想像出来ていたので、
10京円にまで資産を貯めて発想を続け、お金はあとで
評価すれば良いと言うどんぶり勘定で発想を続けて
悪くても自動車電話の好景気で携帯電話の素を造った
評価は残るので金脈としては悪くないと思って日本国民の
面倒を見る世話役として母は大家族の世話をしていて
私の人生の世話役の前例となって祖父の司法書士の仕事も
請け負って居て良い教育だった。そして各国に渡航して
ハリウッドで映画を造り続けチケットを売り出して各国に
売ってバブル時代を世界に造り上げていた。
今後は次のバブルを造るだけです。