NHKの、高野山の冬を見る。真冬はかなり気温が下がり、マイナス18度になるという。そんな中で、ひたすら修行僧は、修行する。弘法大師は、この密教(秘密仏教)を広めた。
この世の全てのものには、仏が存在する。木や草にも仏はある。修行することにより、人は仏と、一体になることができる。結果は、どうなるかわからぬまま、修行することが、人は仏に、近ずくことができる。
密教は、性欲も否定しない。肯定する。ただ、自由奔放に、異性をもとめるのではなく、そこには、修行をとうして、求められるのである。後醍醐天皇は、性欲の塊であった。側近の女性が10人以上、身の回りの世話をしていたという。その天皇は、高野山に「孔雀明王」を寄進した。孔雀明王は性欲の仏像である。それを拝むことにより、秩序ある仏の世界に、導こうとする。
丁度、今頃である。寒中の時である。夜の7時。気温マイナス18度、水温1度という水の中で、回りには氷があるという。その中に身体を浸かり、ひたすら、「般若心経」を唱える。
これは、冬で最も厳しい修行である。例えば、小生などは、心筋梗塞をおこして、そのまま、成仏ということになろう。ここで、修行への態度であるが、修行中、そのまま死んでも、それは本望であるという、修行の教えである。
ここまで書くと、仏教の修行は、俗世間とは大分異なる、異質の世界である。しかし、世の中でつまずいて、死のうとした女性が、周りから言われ、高野山で、ひたすら修行する姿は、何か、胸に突き刺さるものを感じる。高野山は、女人禁制ですが、明治5年から、女人も、この聖地で、修行が認められました。