世の中は人材の苦心した頑張り次第です、汗を流した者の価値観です。
企業にビジネスマンが一人いるだけで成長が違います。
地回りにも娑婆代を月に7万円払っても店を
繁盛させショーパブの意地を見せて店長をして
社長の南青山のマンションを1年間で完済させてた
宮浦瞳ママのお陰で六本木の常識を短期間で覚え
仕事の接待で店のショーを楽しんで頂き、
石井一さんや石原軍団に楽しんでもらって繁盛を
させてた。店は一日ショーを3回おこなって座って
3万円と言うスタイルで接待に使ってもらい賑やか
だった。私が店長で一日の流れを従業員に話して
会社に役立つ会話を記事を造って情報を教えて
ました。そして毎日来てもらえる店を目指してました。
新聞記者の肩書で六本木で1位2位を争う人気店に
して私は体重が65kgだったのが3か月で45kgまで
痩せて芸能界でも一目置かれる人気の店となって
私は宮浦瞳さんの伝手で番組企画をする事になって
店で接待で遊びに来てもらい番組を造って来店して
テレビ局の方に福利厚生の経費で賄って桂三枝さんに
「新婚さんいらっしゃい」を企画して経費で遊んで
もらってました。それを機に私は芸能界で人気になり
作詞企画もおこなって店は繁盛してました。
そして店は日本に留まらずアメリカに支店を出して
ました。そしてオレンジ相場を動かす企画になって
いくのです。それはジャムの新製品でした。
アメリカのおばさんの製品で私がオレンジを買い締めて
ジャムの新製品を出してアメリカではオレンジが高くなって
異論が出た歳でした。そしてオレンジジュースが高いと
言われ私はオレンジで国庫に資産を貯め込んでました。