私は母の例え話で母の起業にヒントを与えてたらしい。
父に言った言葉は職人の妻になるのは拒否した様です。
私は母の相談役で育ったので相談役で顧問をする役割で
企画を建てて様々な人材を母を見る様に育てて来ましたが
長きに続く方々は居ない様です。政治家も相談役で勤めましたが
給料は寄付でした。そして他の事業で稼いで生活を賄ってました。
そして幼い頃から進んだ日本の未来を見据えて政治家の相談役を
して他の事業で稼いで司法書士の祖父に学びを訊いてました。
そんな日常を過ごしていたら、ゲームの事業を広めたいと聞いて
来たり、テレビ関係者が戦争の責任を取れと言って来るので、
その対応に追われたりして国に言えない問題を私なら言っても良い
ような昭和の戦後処理の時代でした、それの境遇が玉砕問題を起こした
連合赤軍の問題や学生運動の問題でしたが日本はその頃より学ぶ姿勢が
足りなくなっていると思います。今も続いている旧統一教会の寄付など
日本は問題を風化させ解決せず来た事がそもそもの間違いです。