木炭バス 4年7月7日(木)21時07分

堅実さん

 まだ、4歳くらいの頃、おばあさんと一緒に、前橋に行った。バスの1区間、木炭バスに乗った。バスの中はとても、地面から高いと思った。


 バスが動かないので、男の補助員が、バスの後ろで、薪を燃やし始めた。お客は、時間がかかるので、バスから降りて、それを見ていた。


 蒸気機関車は、力強いが、こちらは力が弱い、石炭ではなく、薪で蒸気を作り、その力でバスを動かすのだ。バスの後ろには、2つの縦長の窯があり、それに薪を燃やし、蒸気を作る。頃合いを見計らって、補助員は、ハンドルを回し、蒸気ピストンを動かした。なかなか、うまく動かない。


 何とかピストンが動くと、今度は、蒸気の力が弱いので、またお客がバスから降りて、男の人が4,5人でバスを後ろから押し出す。やっとのことで、バスが動くと、一端バスは、止まって、お客が乗り、バスは、発車する。


 路面は、舗装してなくて、砂利道で、がたがた、傾きながら、動いてゆく。その速度は20キロがやっとくらい。尤も、自転車でも、でこぼこなので、時速、8キロくらい。


 一区間で、バスを降りて、歩いた。お婆さんは、孫のわたしに、バスに乗せたかったのだろう。その日は、どうしたかは、記憶がないが、石倉辺りから、家に帰ったのであろう。(この石倉は、風車の弥吉さんに、7日の7タの、思いでのコメントを書き、それで、思い出しました)


ついでに言うと、その頃、路面電車が高崎、渋川間を走っていた。こちらも、速度が遅い。大人が、駆け足で走ると、簡単に追い抜かれてしまう。その路面電車も、金古から、田中まで、四区間ばかり乗って、お婆さんの子供、私からみれば、おばさんの家に行ったことがある。


電車のパンタグラフが、電線に当たり、スパークするのが、何だと思ったものだ。当時は電気が、何だかわからない齢だった。


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#木炭バス
9件のコメントがあります
1~9件 / 全9件
堅実さん
ちこ姉  さんへ

「木炭バスなんて 初めて聞きました。
子供さん時代ですと 興味津々だったことと思います。」

びっくりしたですか。これは、交通博物館で、展示できますが、もう、ないですね。
蒸気機関車は、今でも、イベントで走っておりますが、蒸気バスは、もう、話だけですね。写真があれば、よいのですが。当時は、写真機も、どこの家庭に、無かった時代です。写真を撮るのに、写真屋まで行き、撮ったものです。
戦争後、無事に帰れた復員兵と家族写真は、近所の家で、見せてもらいました。
当時の写真は、白黒で、しかも、茶色になってしまいますね。

「叔父の家に行くとき 路面電車があり それに乗って行きました。
電車の中に 傘を忘れて 追っかけて 次の停車駅で貰いました。ゆっくり走ってたんですね。今でも 走ってますよ~。
私には もう追っかけは出来ませんが・・・。

この路面電車は、熊本市で、新婚旅行で、乗りました。しかし、今のは
しっかりした電車です。相変わらず、遅いですが。
熊本市の、紹介は、熊本城をバックに、大道りが、映っている映像を、見た事があります。



堅実さん
風車の弥吉  さんへ

「木炭バス、人が押して、動くかな」

ブログに有ります様に、これが、バスと、言えるんですか。
田舎のバスは、おんぼろ車と、歌にあったですが、ここまでいくと、お客の、力仕事になりますね。
私は、その男達が、後ろからバスを押すのを、その後ろから、見ておりました。観察力は、小さい頃から、鋭かったと、今になって思います

ちこ姉さん
堅実さん

木炭バスなんて 初めて聞きました。
子供さん時代ですと 興味津々だったことと思います。

叔父の家に行くとき 路面電車があり それに乗って行きました。
電車の中に 傘を忘れて 追っかけて 次の停車駅で貰いました。
ゆっくり走ってたんですね。
今でも 走ってますよ~。
私には もう追っかけは出来ませんが・・・。


堅実さん
りす栗  さんへ

この木炭バスは、戦時中から、あったと、思います。
ガソリンが使えず、松を燃やし、それで、ガソリンの代用をしたそうです。松根油です。こんな事で、アメリカに、勝てるはずがありません。
当時は、写真機も少なかったので、写真が残っているかも、不明です。
それと、やはり、もう老人は消えた方が、よさそうです。
だんだん、強くなりました。ただ、本当によい、ブログを書きたいです。





こんこん。
 
  坂道で 木炭バスは 馬力出ず  季楽庵
りす栗さん
こんばんは。

おお、なんと。歴史上の乗り物ですね。

わたしはぎりぎりかもしれませんが、知らないです。
わたしが知っているのは、前が出っ張ったバス。
そこにエンジンがあったのかな?
煙突立ってるかどうかは紙一重の形ですね。


堅実さん
ISAY企画  さんへ

炭鉱の町ですか、当時、三橋美智也の「炭坑節」が、8月の旧盆の、盆踊りで、歌われた事を、思い出します。
当時は、黒ダイヤとよばれ、日本の復興に、役立ちました。

こんばんは。
大牟田は炭鉱の町で黒田東彦総裁が出身ですが、
商事会社してた母の方が子供の教育を考えていて仕事は
上手かったと思います。
堅実さん
堅実です

木炭車を知っている人は、相当な齢ですね。みんな若い人ばかり。話を合わせるのが、大変な時もあります。

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