まだ、4歳くらいの頃、おばあさんと一緒に、前橋に行った。バスの1区間、木炭バスに乗った。バスの中はとても、地面から高いと思った。
バスが動かないので、男の補助員が、バスの後ろで、薪を燃やし始めた。お客は、時間がかかるので、バスから降りて、それを見ていた。
蒸気機関車は、力強いが、こちらは力が弱い、石炭ではなく、薪で蒸気を作り、その力でバスを動かすのだ。バスの後ろには、2つの縦長の窯があり、それに薪を燃やし、蒸気を作る。頃合いを見計らって、補助員は、ハンドルを回し、蒸気ピストンを動かした。なかなか、うまく動かない。
何とかピストンが動くと、今度は、蒸気の力が弱いので、またお客がバスから降りて、男の人が4,5人でバスを後ろから押し出す。やっとのことで、バスが動くと、一端バスは、止まって、お客が乗り、バスは、発車する。
路面は、舗装してなくて、砂利道で、がたがた、傾きながら、動いてゆく。その速度は20キロがやっとくらい。尤も、自転車でも、でこぼこなので、時速、8キロくらい。
一区間で、バスを降りて、歩いた。お婆さんは、孫のわたしに、バスに乗せたかったのだろう。その日は、どうしたかは、記憶がないが、石倉辺りから、家に帰ったのであろう。(この石倉は、風車の弥吉さんに、7日の7タの、思いでのコメントを書き、それで、思い出しました)
ついでに言うと、その頃、路面電車が高崎、渋川間を走っていた。こちらも、速度が遅い。大人が、駆け足で走ると、簡単に追い抜かれてしまう。その路面電車も、金古から、田中まで、四区間ばかり乗って、お婆さんの子供、私からみれば、おばさんの家に行ったことがある。
電車のパンタグラフが、電線に当たり、スパークするのが、何だと思ったものだ。当時は電気が、何だかわからない齢だった。