欧州の悲劇は、結局第一次世界大戦前の「民族主義」の狂気が慢性的に地雷としてあり、ロシアの鬼コーチによるドーピングにせよ、要するにウクライナの穀倉地帯の食料の古典的シマ争いのドンパチが常に世界大戦の悪夢のトラウマとして欧州にあり、北京五輪の追い詰められたワリエラ騒動になるのだろう。逆に言えば、そういう「強制されたバレリーナの絶望」がないからこそ、第一次大戦の部外者の日本は米国と共に、太平洋に覇権を張れたという明白な構造があり、その上に現代の日本があるという根本を踏み外さないことこそが、投資戦略=経済安全保障の根本国策。中長期的と言うのなら、その道を踏み外した時、常に日本が経験不足の民族紛争の泥試合=満州・シナ事変、原爆投下、ロシア参戦、玉音放送だったはず。ベル薔薇=日独伊三国同盟の発想に迷わないことが、必ず、日本復活の正道に決まっていると、つくづく思う。「経済」は、「軍事・政治」と切り離しては存在していないということである。内容を確認する