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元祖SHINSHINさんのブログ

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たましいの関係

近代の特徴は、たましいの存在を否定してしまったことである。

物事をすべて明確に区別して考える。

心と体を区別する。

精神と物質を区別する。

近代はこのようにして驚異的繁栄を見た。

 

カミーユのマルメール商会の扱う洗濯機はそのひとつの象徴である。

すべての汚れ、あいまいなものを洗いおとしてしまう。

これに対して、絹などという、どこかでたましいとかかわる商品を扱っているアンパラ商会は、

マルメールの繁栄と反比例して、落ち目になっていくのだ。

近代の洗濯機は、すべてを「清潔」にして、無垢なるたましいを洗いおとしてしまったのだ。

 

コレットはこのような近代に我慢できなかったのではなかろうか。

「猫と結婚してみたい」などという彼女の言葉に、それが示されている。

義理の息子との恋、同性愛。

それらの彼女の行為に、

何とかたましいの関係を見出そうとした彼女の努力の跡を見ることができる。

 

彼女の言う「無垢なるもの」は、この世に顕現してくるとき、

この世では一般的に否定されたり、

低く評価されたりすることになることを忘れてはならない。

 

現代では「人でなし」であることは、それほど恥ではない。

一般に最も恥とされているのは「オカネなし」である。

それは、この世で、人でなしでオカネありの人が、

尊敬されたり、出世したりしているのを見れば、よくわかる。

アランにしても、庄造にしても、あまり「尊敬」される人間にはなりそうもないのである。

「うろん」でさえある。

 

ここに不思議なことがある。

アランはサアにたましいの顕現を見ている。

しかし、人間であるカミーユもたましいを持っていることに、まったく気づかない。

 

これは不思議と言えば不思議だが、よく起こる現象である。

ひとつのひねくった壺や茶碗にたましいの存在を感じつつ、

家族の誰一人に対しても、たましいの存在を感じない人など多いのではないか。

 

たましいは広大無辺である。

それがどんなものかわかるはずもない。

従って、何かにその一部の顕現を見ることによって、

人間は「生きる」という行為の支えを得ようとする。

 

しかし、他人とほんとうに生きようとする限り、

それを超える努力をしなくてはならない。

カミーユがアランと伴にサアを愛するようになったり、

アランがカミーユにもたましいのあることを認めて生きようとしたり、

いずれにしろ、命がけの仕事をするより他に、

この二人の関係を維持する道はないだろう。

 

猫は、どういうわけか、人間にとってたましいの顕現となりやすい。

猫を愛する人は、猫を通じて、その背後に存在するたましいにときに想いを致すといいのだろう。

 

*********************************************

★「猫だましい」

  河合隼雄著 新潮文庫 438円+税 

  「Ⅶ 雌猫 ~コレットと猫~」 P.252~254より抜粋

 

フランスの作家、シドニー・ガブリエル・コレット『雌猫』のあらすじを紹介した後で、

抜粋した考察を著者は述べている。

 

途中に出てくる「庄造」というのは、

前々章で紹介された谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』に登場する主人公だ。

 

著者の作品分析は、読むときだけでなく、

書くときにも非情に参考になることを述べているので、読まないではいられない。

 

文学部出身の人たちが、そう時間をおかずに小説を書くことができるのは、

いろいろ読み込んできて馴れているだけではなく、

こういう作品分析をしっかり研究しているからだと思われる。

 

「神は死んだ」と言われるくらい、誰も神様を信じなくなってきて久しい。

そんな中で、たましい(内在神とか、もっともじった眷属でもイイと思う)の存在を

意識する人が増えてくると、

神様はちゃんと復活するのではないだろうか。

そうすれば、悪人は徐々に消えていく。

 

今回も、不注意で危険な要約はできないので、上のようなさわりのみの抜粋となった。

 

PS:シドニー・ガブリエル・コレットという作家は、

   著者によれば、二十世紀フランス文壇の女王と呼ばれた人で、

   1954年に他界されたときには、国葬になった驚きの作家だという。

   義理の息子との恋とか、同性愛は本当のことらしい。 

 

   読売か日経か忘れたが、コレットを描いた書籍が上・下巻で発売されるという書評欄。

   この書籍は、絶対に買いだと思われるが、ストップ高で品薄かもしれない。

   それと、各巻3,000円と高価なのが、ちと痛い。

 

   こういう連鎖反応も、外山滋比古の主張する「乱読のセレンディピティ」なのだろう。

   読めばきっと、色々な発見があることだろう。

 

 

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