元祖SHINSHINさんのブログ

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京大卒の翻訳家をぶっ飛ばした、炎の男 その1

(略)晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠(かいどう)の散るのを黙ってみていた。

 花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。樹陰の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているのに違いない、何という注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。花びらの運動は果てしなく、見入っていると切りがなく、私は、急に嫌な気持ちになってきた。我慢が出来なくなってきた。その時、黙ってみていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立ち上がり、動揺する心の中で忙しげに言葉を求めた。「お前は、相変わらずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。

 

 

 二人は、八幡宮の茶店でビールを飲んだ。夕闇の中で柳が煙っていた。彼は、ビールを一と口飲んでは、「ああ、ボーヨー、ボーヨー」を喚いた。「ボーヨーって何だ」「前途茫洋さ、ああ、ボーヨー、ボーヨー」と彼は目を据え、悲し気な節を付けた。私は辛かった。詩人を理解するという事は、詩ではなく、生まれ乍らの詩人の肉体を理解するという事は、何と辛い想いだろう。彼に会った時から、私はこの同じ感情を繰返し繰返し経験して来たが、どうしても、これに慣れる事が出来ず、それは、いつも新しく辛いものであるかを訝った。彼は山盛りの海苔巻きを二皿平らげた。私は、彼が、既に、食欲の異常を来している事を知っていた。彼の千里眼は、いつも、その盲点を持っていた。彼は、私の顔をチロリと見て、「これで家で又食う。俺は家で腹をすかしているんだぜ。怒られるからな」、それから彼は、何とかやって行くさ、だが実は生きて行く自信がないのだよ、いや、自信などというケチ臭いものはないんだよ、等々、これは彼の憲法である。食欲などと関係はない。やがて、二人は茶店を追い立てられた。

 

 中原は、寿福寺境内の小さな陰気な家に住んでいた。(略)

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小林秀雄にしては、珍しく簡明で、小説チックな書き方をしているエッセイ。

初期には小説を書いていたというが、久しぶりに書く小説タッチな文章は、

ユーモアのセンスが醸し出されているようで、文章も一部分が歪であり、どこか頼りない感がある。

こういうタッチだと、西原理恵子とか、三浦しおんあたりが適しているかと思う。

 

それでも、中原中也のもつ平素の雰囲気は、よく伝わってくるのであった。

 

★「作家の顔」

  小林秀雄著 新潮文庫 H23.8.30.四十八刷

  「中原中也の思い出」P.180~181より抜粋

2件のコメントがあります
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    yoc1234さん
    2013/10/1 20:04

    どこかで見たようなと思ったら、昔の文章。

     

    知ってるわけだ。

     

    こんなの今の大学生にわからないだろう。

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    元祖SHINSHINさん
    2013/10/2 02:24

    お久しぶりです。

     

    さすがはyoc1234先生、ご存じでしたか。

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