ユリウスさんのブログ
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リスク学
日本のの三選手が出場するフィギュアスケートのフリーが始まっている。SPで三位につけている高橋大輔(関大大学院)、4位の織田信成(関大)、8位の小塚崇彦(トヨタ)の三人は一位のプルシェンコ(ロシア)に日本の期待を担って、まもなくリンクに立つ。
高橋は4回転を飛ぶと決意を語っている。プルシェンコを抜いて金を目指すには、例えリスクがあっても4回転を飛んで勝負したいということだろう。
スポーツ選手は常に自己の限界に挑む。リスクは避けて通れない。石橋を叩いていては勝利の栄光はないということを知っている。観客はそのチャレンジが成功したときに拍手を惜しまない。だが、「成功」と背中合わせに「失敗」がある。
スポーツなどで大成している人は、多分チャレンジ精神が旺盛であろう。だが、人間にはチャレンジャブルなタイプばかりではない。慎重タイプも多い。いわゆる石橋を叩く、いや叩くだけで渡らない人もいる。そういう人間が混じりあって社会を構成している。
若い頃、人生の先輩からは「石橋を叩いて渡れ」と諭されたことがあった。しかし、一介のサラリーマンといえども、ことはそれほど簡単ではなかった。叩いて安全を確かめてから渡ればばいいと言うが、たたき過ぎたら石橋が壊れるかも知れないし、叩く手が傷つくかも知れない。現代社会のような環境の変化の激しい時代ならなおさら、叩きもしないで、渡らないでじっとしていたら、リターンが得られないという損失が発生する。リスクを回避しようとすること自体が得られたかもしれない機会を逃がすというリスクを負うことになる。いやはや、まことにむずかしい。
これを「リスク学」と言うらしい。
スポーツ選手や投資家だけでなく、翔年のように老境にいる人間も、病気に襲われたときに、よりよい生を全うするために、「リスク学」のお世話にならなければいけないのではないだろうか。
これから、NHKBSTVを見ます。
>スポーツ選手は常に自己の限界に挑む。リスクは避けて通れない。石橋を叩いていては勝利の栄光はないということを知っている。
この選手の中での葛藤とのかけ引きって
見ててわくわくするんですよね((o( ̄ー ̄)o)) ワクワク
チャレンジして失敗しても、
そのリスクに立ち向かったことに点数をあげたいです(^^ゞ
>たたき過ぎたら石橋が壊れるかも知れないし、叩く手が傷つくかも知れない。
この言葉私も言われたことがあります。
「じゃあ壊した材料で川を渡ればいいんじゃないですか?」
っていって本当に変わり者だと思われちゃいましたけど・・・
チャレンジするときも、慎重になるときも決断が伴います。
常に正しい判断というものが
できるというものでもないと思うんです┏○ペコ
でもだれしもが向き合いたくなくてもリスクと
向き合わないといけないものなのかもしれませんねぇ(^^ゞ
生きている限り、何らかのリスクと対峙していると思います。
ジッとしていたら、安全でいいというものでもない。
機会損失というリスクを蒙るかもしれないし、運動不足による成人病のリスクをとっていることになるかもしれません。
それで「リスク学」という学問体系が最近できたとききましたよ。