サイコさんのブログ

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Money/Violence

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  士業(弁護士、会計士等)  現在 14位今週末、日経平均は7,569.28円で+371.03円と大きく値を戻している。海外勢の買戻しということだから、外人が踏んだ、だけかもしれないが、たかだか300円ぽっちの戻しで納まっているのを考えると、出来高はそんなに膨らんでないのでは。「海外勢の売り圧力が低下しているようだ。25日の配当権利付き最終売買日が接近し、売り惜しみのムードも出ている。逆に信用売り残超過の銘柄は買い戻しの動きが目立っている」(準大手証券トレーダー)とロイターも言ってるよう、配当の出る銘柄は売り圧力は減ると見ていいわけで、配当の出ない銘柄はそのまま放っておかれるのか。レスが圧縮されて戻らないのはそういうことか まぁ、仕方ないので、また最近読んだ本を紹介しておこう。カネと暴力の系譜学今回はちゃんと内容に添ってはいるのだけれど、ちょっと格好つけて英語風にしてみた。表紙にも英語タイトルと思しきものはMoney/Violenceとなっている。のだが、まぁ暴力=Violenceは間違いではないのだけれど、著者自身が意図していない部分の盲点、というのは装丁のデザイナーによってなされた可能性を否定できないからなのだが、この暴力、日本語的には権力の方がやはりしっくりくるものなのである。ドイツ語でGewaltは暴力と権力とを意味するのに近い調子と思うと分かりやすいか。まぁ、この著者、津田塾大萱野准教授のことを以前に、上からのナショナリズムと下からのナショナリズムという発想について丸山的と評したのだが、丸山眞男よりも実はカントの叡智界(物自体の世界)を上層として現象界(己が現に見ている世界)を下層とする考え方の方がより近いのではある。カントのこの図式は人間がより道徳的、規範的に高度に成ろうとするために神への接近として礼拝、祈りの行動とともによりその叡智界を模範とする実世界の実現のための絶え間ない運動、行動を個において成す、というものであるが、どうもこの倫理的なる側面を逆透視してドロドロの人間界の実情に則したものにしているのでは、ということである。まぁ、だから、丸山がもともとこのカントの図式からヒントを得て、国家による上からの政治形成と意思ある市民からの多様な下からの政治行動ということを言っているので、強ち間違いでもないのだけれど。ただ、今回「系譜学」を読んでしまうと、その丸山によってかけられたフィルターで再度、しかも簡潔に図式化しているのではと思わせるので、やはり丸山的と言ったほうがいいのかもしれない。兎に角、資本主義社会において、というかここで書かれている国家による暴力の独占、その正当化なるものは社会主義社会、共産主義社会においても同じではあると思うが、要は国家において、法の下の平等の実現という前提からその均衡を乱す者を法に基づいた強制力により処罰、排除することで暴(権)力の独占をなしうる、ということだ。後、「富への権利」、国家成立の基礎である「労働の組織化」というキーワードも出てくるが、簡単にだけ言うと、いづれも封建制において混在していた労働が、資本の運動という新しいシステムの出現によって政治的なものから経済的なものだけに分離独立を果たし、国家にたよらずとも資本によって「組織化」が可能となったのであり、封建制という政治システムの疲弊から領主や貴族が単にブルジョワに看板を書き換えただけで、ブルジョワ革命なるものによって資本主義が発生したわけではない、ということだ。少しつけ加えると、このブルジョワは大東亜戦争後の数年、否定的な意味で使われていた「市民」と同義かと思う。文字通りブルジョワ革命=市民革命だからだ。市民革命によって資本主義が発生したわけではない。さて、大雑把に見たとおり、国家は暴力を独占したことにより、それによる脅しで国民から税という名目でカネを巻き上げている。資本の方は自前で「労働の組織化」を達成したことで、さらなる運動によって自らを増殖していく。国家が暴力の独占に特化したことによって、資本は国家に対峙したわけではなくそれを後押し、強化する手助けをしたということである。これを思うと、第二次大戦は、国家が暴力の独占を極端に拡張した形で国家どうしのエゴのぶつけ合いであったとも言えるし、大恐慌をエポケーして昨今の世界金融不安は、国家から自由になった資本が「労働の組織化」をグローバルな形で展開して加速度の付きすぎで、というか資本の増殖そのものに企業が付いていけなくて躓いたら、ドミノ式にバタバタと倒れたのだとも言えそうだ。グゥーーー
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