サイコさんのブログ

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株は全て

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  士業(弁護士、会計士等)  現在 5位昨日の日経平均は8,215.53円で+269.57円で引ける。NY市場のダウは500ドル弱あげてて、更に円安になっているので、今日の東京市場も一段高することだろう。一応、グローベックス市場では日経先物は8400円で引けているし。さて、ここ数年来、ことあるごとに自己責任が言われるのであるが、大体にして株の売買なんていうのは当に自己責任以外のなにものでもなく、証券会社はうるさいほどその確認書を送りつけてきたりするわけで、最近読んでいる「文明論之概略」を読むの中でも丸山眞男が言いたかったことは、明確なる個における政治に参加する責任、これを自己責任というのではないかと思ってきた。えー、今回ははしょりますが、「文明論之概略」を読むと原典についての概略を書いておこう。ここで智徳について論じられている部分があるのだが、智徳というのは智恵(知的活動)と徳行(道徳行為)のことで、明治維新後、西洋文明の導入に際して道徳が先か智恵が先か、というとこに焦点をあてている。巻之一で「文明は人の智徳の進歩」と結論しているのだが、それをいかに衆論として高めていくかということが書かれている。そうした世論の形成において、いかに智恵のある者が一人二人いて先導したところで、民衆においてその理屈が分かってないと勢いが衰えるので、大衆全般の議論を上部構造的に吸い上げていくような「気風」を作らなければいけない、ということかと思う。西洋列強の外圧に対していかに立ち向かわなければならないかという切羽詰った状況下であった明治八年当時ではあったのだが、政治家は今まさに事にあたって切り開く者で、学者(諭吉)のスタンスはじっくり論理を固めて体制を築く者であった。ただ、徳は学べるものでもなく外観からは察することのできないものであるのに対し、智は学べば身に付き、なんならば試して外に顕現することのできるものとして、その明白性からその多寡を早急に増やすべきだ、とも言っている。その当時としては兎に角、西洋に追いつけ追い越せであったわけだから焦りにも似たその状況は想像できる。では世論形成をどこから始めるか。諭吉の場合は結局教育ということに落ち着くのだが、一方で「多事争論」というリベラルな思考で新聞紙上で論を公表、闘わせることも試みている。当時はまだ言論統制などなかったのではあるが、新聞に掲載するためには今で言う文科省の許可を要したので、その弊害を憂えていたのが事実ではあるが、新聞というメディアを衆論を高めていく手段と見ていたことに先見性があった。というか、西洋事情でメディアがそうした機能を担っていることを熟知していたわけなのだが、日本においては明治より、そして大東亜戦争時の厳しい言論統制を経て、戦後民主主義で言論はリベラルとはなったが、ついに市民、民衆、大衆から世論が形成されたためしはそれほど無いのではなかろうか。いいように世論は操作されてきたのが、55年体制後においても事実のような気がする。責任の所在を明確に出来ない現在の、国家公務員、地方公務員の体質は戦前、戦中の軍隊的無責任の体質と変わるところがない。グゥーーーーーーーー
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