元祖SHINSHINさんのブログ

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カズオ・イシグロの優しい「記憶」

ベテラン・シナリオライターの、ある発言があった。

「回想なんかしたら、即オチだからな、コンクール」みたいな。

表題のカズオ・イシグロの発言は、それと真逆だ。

 

「記憶」というのは、文学における表現において大事なアイテムのひとつだと。

嘘だと思ったら、読んでミーや朝日。

 

大きなヒントをもらった。

今までずっと、とあるベテラン・シナリオライターの言葉に悩んでいたんだ。

オイラは、小説家であるカズオ・イシグロを信じる。

彼に直接教わったかのような幻覚すら、覚える。

 

それに、スティーブン・キングったら、

自身が書いていた小説の書き方を冒している表現を見つけてしまったし。

(シャイニングだよ)

 

「ここに書くと、ちょっとした怖いことになる可能性があるから書かないけれどさ」

 

誰それが「言った」という決まり文句に、

つまんない修飾句を挟むんじゃないという、スティーブン・キングの主張。

「あんた、けっこう反してまっせ、先生」

(あらら、書いちゃったー)

 

まっ、気にしないけどさー。

 

PS1:それから、カズオ・イシグロ。

   「盗むためにイロイ<iframe name=

登録日時:2015/07/20(03:39)

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このブログへのコメント

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    2015/11/08(13:36)

    SINSINさま。

    たしかに記憶は、文學の重要なファクターです。例)「失われた時を求めて」マルセル・プルースト著。これも誰それがいった(書いた)のたぐいか。


     自分の日記には、「奥の細道」をたまに附けるけど、

    「象潟や 雨に西施のねぶの花」といったような、景色と文学の記憶が共時(sincronicity)するような句もあります。

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    2015/11/10(03:46)

    コメントありがとうございます。

     

    それにしても、

    シナリオライターの人たちは、

    どうして回想手法を否定するのか、

    いまひとつピンときません。

     

    某氏のそのまた知り合いのシナリオライターによれば、

    その手法は過去にはやりすぎて

    あまりにも安易であるからだそうです。

     

    なので、回想手段をつかったコンクール作品は、

    即、落とすのだそうです。

     

    小説家とシナリオライターとの

    こうした考え方の違いが、

    オイラには不思議で、ピンとこないのでした。

     

    ただ、いろいろと小説を読んでいてわかったのは、

    ありがちな回想風景の描写を避けるために、

    起きたできごとを時系列に書くのではなく、

     

    バラバラに書いたり(トマス・ピンチョンの「V.」)、

    時間を各章のタイトルにしたり(桜庭一樹「私の男」)、

    現在・過去・未来に渡って繋げたり(桜庭一樹「ブルースカイ」)

    いっけん別の話をDNAらせん構造のように

    交差させて書いたり(高田崇史「QED鎌倉の闇」)、

    といった手法があるのを知りました。

     

    読んでいるだけでもオモロイのですが、

    こういったことを知ることも、とてもオモロイと感じています。

     

       *

     

    ところで、「失われた時を求めて」って、

    とっても長い小説だって聞いたような気がするのですが・・・。

     

    げげっ、いまネットで調べたら、

    全13巻セットって。。

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