まはいさんのブログ

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高千穂の神域の閉村式

今日は持株が238,416円値騰がりしました。

今日は、ハピネット100株を寄付き862円で売却しました。
ハピネットの投資戦略を組んでいましたが、ヤフーが魅力的なので、打診買い100株を早々に撤退です。

さて、今日は仕事を休んで昔住んでいた集落の閉村式に、ネット中継で参加しました。
閉村式に行きたかったけれど、あまりに遠いし、ネット中継で参加できる便利な時代に感謝です。

新燃岳大噴火 集落壊滅

平成23年1月27日に新燃岳が大噴火しました。
私が幼少期に5年過ごした集落は壊滅的な降灰被害に遭いました。
それから2ヶ月あまりで東日本大震災が発生したため、新燃岳の大噴火は全国的には忘れられた大災害になってしまいました。
寄付金も集まらず、行政も東北優先で、仕方のないことですがあまりにも不運でした。

高原町 ↓ クリックで拡大


海に影を落とすほどの噴煙が、高原町全域を通り、宮崎市を抜けて日向灘になびきました。
かなり迷惑な桜島の噴煙とも比べものにならないです。
高原町は甚大な被害に遭い、平成の大合併で取り残されて、たったひとつの西諸県郡の自治体になってしまいました。
近隣の市が合併してくれれば良いのに、神も仏もありません。

高千穂の神域

古来、高千穂の峰は麓まで神域とされていました。
それを、戦後、満州朝鮮からの引揚者が、宮内庁から土地を下賜されて切り開いたそうです。
高千穂の峰の麓を切り開くように、高原町は高千穂の峰に向かって農地を拡げていきました。
ちなみに、私の家族は、沖縄の本土復帰後に親戚のつてで高千穂の峰の麓の集落に移住しました。
当時は石油ショックで、太古の森を伐採して木材チップにすると良いお金になったらしく、農地の開拓も一気に加速していました。

神々へ土地を返す
私が住んでいた集落を含む4集落の閉村式が行われました。
平成26年3月31日をもって閉村しますが、行政的に非常に意味があるようです。
まず、集落に向かう町道は廃道になり、上下水道や電力線、電話線などの社会インフラも全て廃止になります。
建物は廃屋として登記抹消、屋敷も農地も"山林"へ登記変更になります。
そして、集落も、そこへつながる道路も地図から消えます
狭野神社の神職らしき神主さんが「かしこみかしこみお返し奉る」と土地を神々にお返しして閉村式はお開きでした。

滅びるのは空しい
毎年、少しだけど”ふるさと納税”してきましたが、ついに折れてしまいました。
Ustreamのネット中継を、涙々に視ていましたが、アクセスはたったの62名でした。
ネット中継される映像に、私が知る人はもういないけれど、景色だけは30年前と変りません。廃道が朽ちてしまう前にもう一度だけ行ってみたいです。
冷静に考えれば、こういう大惨事があるから、古来、人々の知恵として高千穂の峰の麓は神域だったのでしょう。しかし、そういう自業自得っぽい解釈はしたくないです。
また、こうしてひっそりと閉村していく集落は、私が知らないだけで日本中にたくさんあるのでしょう。
「新燃岳に焼かれました」と言い訳できるだけ、私がいた集落はましなほうだと思いましょう。
それに、ただ無人になるのではなく、きっちり神々にお返しするという作法が良いです。
さようなら皇子原の上4集落!
    
2件のコメントがあります
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    ☆プリ☆彡さん
    2014/4/2 07:08

    地図から消える‥‥


    私は人間に記憶があるように、場所にも記憶があるというふうに感じています

    たとえば、いまは廃屋になって誰も住んではいない家も

    誰か住んでいた記憶。幸せの笑い声の記憶。朝ごはんの食器の立てる音の記憶、のように。

    ひとつの場所は形を変えて、名前を変え、

    それが人間のものから、神に返したものとなった後も、

    名前がなくなっても

    地図から消えても

    形を変えて在ると、思ったりしています。

    無くなるというのでなく、神に返すというのは

    ほかのことにも通じるような大きな発見と癒しの概念?のような気がします。

    作法の意味もそこにあるということなんだな、と感じました。

    まはいさんの、なつかしい特別な場所ですね。

    わたしにも、なつかしい特別な場所があります。








  • イメージ
    まはいさん
    2014/4/2 11:16

    プリ☆桜月☆ さん コメントありがとうございます。


    何万年も誰も住まなかった火山の山裾だから、この先何万年も人が住むことはないでしょう。


    何とか残して欲しい気持ちはありますが、火山灰で荒れ果てた土地に残っている人に期待するのは酷です。

    今では、もっと開けたところに農地がいくらでも余っているから、移転したほうが幸せに違い有りません。


    ふたつ上の世代は、命からがら大陸から引揚げてきて太古の森を切り拓いたのだから、その生命力は素晴らしいと思います。

    入植者は、ほとんど天寿を全うされていますが、もし生きていたら土地を手放す決断は容易でなかったと思います。

    私は、子どもだったから開拓の役にはたっていませんが、それでもがっかりです。

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