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サイコさんのブログ

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無論

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  士業(弁護士、会計士等)  現在 6位


光市母子殺害事件で広島高裁は元少年に死刑判決を言い渡した。
簡略にこれまでの経緯を。慎重なるわが国司法は高裁で死刑を判決できなかったため、最高裁に持ち込まれた。最高裁で口頭弁論が行われる場合は二審の判決(死刑を求刑する検察の控訴を棄却)が覆る場合が多い。そして、差し戻し審。二審の判決が終審ではないのだから、結局死刑判決することとなるのであれば最初から、まず社会的に制裁を公表することで被害者遺族の心を慰撫することに重きを置くべきだった。ただ、その後に被告人の上告なりもあって実現には困難があると思うが。
実際に、被告人は即時上告、結局は最高裁で争われるわけだが、ほぼ刑は確定したわけである。しかし、差し戻しなどの裁判上の手続きによって9年もの年月が過ぎてしまった。ひとつの答えを引き出すまでになんとも長かったことか。楢崎康英裁判長に、被害者遺族の声が届いたのであろうか。
 前回の画期的裁判(某論)とこの刑事裁判を同列に扱うことはできないのだが、方や市民の声、方や被害者遺族の声、それを裁量するのは高度に倫理的である裁判官の役目であろう。しかし、来年から刑事裁判の仕組みが変わる。と言っても今回のような凶悪犯罪に関してのみだが、司法制度もあまりわからないような裁判員が量刑の裁量に加わることになるのである。皮肉なことに、この裁判員制度は死刑廃止論から出ていると言うことだが、まさに、これほど耳目を集めるような裁判への市民参加は、法制化の前に擬似的に制度を整えて、試験的に今回のようなケースでやってみればよいのではないかと思った。まぁ、ただ高裁では裁判員制はとらないので、地裁一審でのみ採る制度かと思うが、一般市民の感情、当然個々人それぞれの信念の違いで緩やかに量刑も変わる可能性がある制度なのだろう。当然、被告人にも検察側にも控訴権があるので高裁で控訴審が争われる場合もあるだろうが、極端な話、今回と全く逆で、裁判員絡みで死刑の量刑を採った場合に被告人がそれを受け止めたら、認めたら、それはそれでひとつの裁判なのだろうか。そう理解するよりなさそうだが、人が人(人非人でさえも)を裁くということも、高度に精神的な判断が必要なのは当然、制度の合目的性、合信頼性も精緻を尽くさなければならないであろう。昔から、罪を憎んで人を憎まず、というが人はそれほど立派なものでない。必ず仇に思うものなのだから。

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