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存在論的、郵便的

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  士業(弁護士、会計士等)  現在 7位


存在論的、郵便的
この本は兎に角、すごい!の一語に尽きる。しかしながら、ありふれた残念を言わせてもらうと、ある意味、予想通り、デリダ的に結論を放棄する形で終結しているのではあるが、それでも不誠実に、トラップにかかったままで、保守的な「デリダ派」をパフォーマンスして欲しかった。要するに、確たる確答、「何故デリダは奇妙なテキストを書いたのか」という問いに明確な答えを出して欲しかった。でも、断っておくが、そんなものは何一つ認めないだろう。この典型的なデリダ的終結こそが本来的な回答なのだから。これすら超える結論であれば、それは、もう東がデリダを乗り越え、東の哲学としての新たな領野に踏み出たことを意味するのだと思う。しかし、あらためて思うのは、デリダをここまで微塵切りにして、解りやすくした手引き書はないということである。これは、東が意図しているかは解らないが、物凄く読みやすく感じたからである。
全く説明なしで少なくこの本について言うと、デリダのテクストは、精神分析学者フロイトが手法とした分析を、そのまま応答可能性として実践している、ということが底辺にある。しかしながら、脱構築すべきヨーロッパ中心主義(ロゴス中心主義)という建物を「ずらす」試みは、郵便というネットワークに潜む到達不可能性によって、つねにすでにアポリア(袋小路)に入ってしまう。そこを擦り抜けることが可能なのは幽霊たちだけか。しかし、さらに翻って、偉大なフロイトと方やハイデガーを踏襲し、通過した上で、否定神学をも退ける手法と実践が、デリダのエクリチュールであった、だからあのような奇妙と思われるテクストとなったのか?ということらしい。
兎に角、デリダは、形而上学という閉ざされたシステムを脱臼させ、敢えてシステムと呼ぶならば郵便的な可能性と不可能性のネットワークの中で、ニューロン間を行き来する伝達物質のような「身振り」をしていた、のだ。幽霊のごとく。
この本の中では引用されていなかったのだが、改めてこれを読んだ後に思いいたるものがあったので、それを紹介したい。「タイプライターのリボン 有限責任会社2」であるが、ここでデリダは、ド・マンの亡霊に問いただすかのような、あたかもド・マンの亡霊からの反論を待ち受けるかのような、セミネールを行っている。ルソーの「告白」の読解がテーマであるこのセミネールで、結論として「物質なき物質性」をあげるのだが、曲論して砕いて言うと故人は語らずして最後の言葉をいつも語っている。故人は当然語れない、その痕跡であるテクストから新しい最後の言葉を常に聞き出している。しかも、デリダは、まさに亡霊(ド・マン)たちとの応答可能性を確認しているわけである。
グゥーーーー

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