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[人物伝]続池田敏雄の生と死(1/2)

第10章 IBMの恐怖

平松守彦は、元大分県知事で、71年に富士通-日立の提携など、日本のコンピュータ大手の再編を仕掛けることになる人物である。

「岡田さんが社長になってから、平松さんがしょっちゅう会社に来ていました。当時、平松さんは通産省の電子工業課長補佐だったのですが、平松さんが来ると、岡田さんは『来賓室に通すな。おれの部屋に直接通せ』といって、2人で、昼飯を含めて1時間、2時間話し込む、ということが多かったですね」(川谷幸麿)

岡田は、ごく近いスタッフに「平松なら通産省を動かせる。通産省が動くということは日本の政府が動くことだから、それに乗るんだ。それしかない」と洩らしていたという。

それにしても、岡田は、通産官僚の平松と、来賓室ではなく社長室で、”しょっちゅう””1時間も2時間も”一体何を話していたのだろうか。

「はっきりいえば、対IBM作戦でしょう。だから池田さんは話しにくかった。結局、話さないまま墓に持っていってしまったのですがね」

川谷は、そう前置きして、IBMの技術の恐怖と資力=カネの恐怖について話してくれた。「この二重の恐るべきパワーを組み合わせて攻め立てられれば、日本企業は完全に封じ込められ、日本市場はIBMに制覇されてしまう、と、平松さんは強い危機感を持っていて、何としても日本のコンピュータ産業を死守しなきゃならんと、使命感に燃えていたのじゃないかな」

58年から60年にかけて、IBMはトランジスタ・コンピュータ7090、7070、1401などを相次いで発表し、60年には日本への輸出もはじまった。とくに1401は、アメリカ国内で2万台近く出荷されたベストセラー機で、日本の企業も競うようにこのコンピュータを導入した。くり返し記すが、当時のIBMの日本市場でのシェアは70~75パーセント。日本企業の1位、日本電気は数パーセントでしかなかった。

IBMの”技術の恐怖と資力の恐怖”に通産省は、どんな対応を考え、「コンピュータに社運を賭ける」社長と、どんな密議をこらしたのか。



私は、平松に直接、尋ねることにした。

「60年安保で国会の周りが騒然としていた頃です。私は、当時、日本で一番モダンで設備のよいホテルだった赤坂のホテルニュージャパンで、IBMのバーケンシュトック副社長と、文字通り膝詰めの交渉をしていました。 1対1で、私は、英語の読み書きは出来るのですが会話がダメなので、肝心なところは筆談でやったのです。ホテルの部屋までデモ隊の声が聞こえて来ました」

 60年安保-。

岸内閣が進めた日米安保条約改定を巡って、社会党、共産党や労組、学生などが反対運動を展開し、連日連夜国会にデモ隊が押し寄せて警官隊としばしば衝突していた。

そのデモ隊の声が聞こえてくるホテルニュージャパンの一室で、平松がまなじりを決して、バーケンシュトック相手に筆談でやりあっていた中身こそが、”技術の恐怖”に対する懸命の防戦、IBM側からいえば、官・民一体、つまり「日本株式会社」による猛烈な逆襲だったのである。

当時、IBMはアメリカの国内・国外合わせて約5000件のコンピュータ関連特許を確立していて、日本の企業がコンピュータを開発して販売しようとすれば、どこかでIBMの特許に抵触してしまうはずだった。これが”技術の恐怖”である。IBMはいわぱ技術の巨大な網を張りめぐらしていたのだ。

日本企業は、当初は、それぞれIBMと技術提携することで網を突破する、いや、逆に網を利用し、自社だけがIBMと結ぶことで他社との差別化を図ろうとした。しかし、IBMは技術提携をいずれも拒否した。

だが、IBM側にも悩みがあった。日本IBMは59年9月に東京・千鳥町工場の一期工事を完成させ、日本国内でコンピュータ生産を行なうための体制を着々と進めていた。しかし、外為法によって、日本IBMは日本国内での利益金を本国に送金することが出来なかった。そこで、外資法上の規制を取り除いてほしいと通産省に求めていたのだ。それに対して、通産省は、外資法の規制枠からはずれたいのならば、日米がそれぞれ半額出資の合弁会社にせよ、と勧告したのである。これは全額出資を鉄則にしているIBMには、とうてい受け入れがたい条件だった。

「はっきりいえば、国産コンピュータ生き残りのための、乾坤一擲(けんこんいってき)のバーターです。IBMに、日本企業のために基本特許を供与することを認めさせ、そのかわり外資法の規約の取り除き、具体的には日本IBMと親会社のIBM・WTC(ワールド・トレード・コーポレーシーン)との技術提携を認めて本国に送金出来るようにする。しかしバーケンシュトックは絵に描いたような辣腕で、何度も決裂寸前までいったのです」

平松は、こうしたIBMとの交渉のシナリオを描く過程で、主な国産コンピュータ企業に相談を持ちかけ、あるいは協力を要請してまわり、その過程で富士通、とくに岡田完二郎に対する信頼を深めていたのである。

平松は「国産でIBMに対抗して本気で必死に戦う。いわば日の丸コンピュータ死守ということですが、その点で頼りになるのは、結局富士通だと思わざるを得なかった。通産も悲愴だったが、岡田さんは、その悲愴さをしっかり受け止めてくれた」と語っている。

富士通の岡田にしてみると、”脱電電”の突破口をコンピュータに求め、その可能性を懸命に模索しながら、あまりにも危険が大き過ぎると、社内外の強い反対に困惑していたときである。そこへ平松が、乾坤一擲の「日の丸コンピュータ計画」を持ち込み、通産省の並々ならぬ意気込みを感じとった。そこで平松への信頼を拠り所にし、通産省の日の丸コンピュー夕計画に乗るかたちで、思い切って「コンピュータに社運を賭ける」との大跳躍を敢行したというのが真相ではないのか。

日本IBMが日本の各企業に基本特許を与え、そのかわり通産省が日本IBMとIBM・WTCとの技術提携を認めるというバーター交渉が決着したのは、60年12月だった。

こうした経緯を踏まえると、岡田がごく近いスタッフに洩らした「平松なら通産を動かせる。通産が動くということは日本の政府が動くことだから、それに乗るんだ。それしかない」という言葉が一段と具体性を帯びて来る。

岡田と平松の関係を、私は改めて川谷幸麿に確かめてみた。

川谷は「岡田‐平松というのは、実は岡田‐池田-平松で、池田さんがいて岡田さんはコンピュータというものを信用し、だから平松さんが富士通を信用した」のだと強調したうえで、「通産が動き、日本政府あげての大作戦なら乗りだ。それしか富士通のサバイバルはないと岡田さんが決断したことは確か」だと答えた。

「実は、IBMの本当の恐怖というのは、そのセールスの方法、そしてそれを支える圧倒的なカネの力なのです。IBMがアメリカ国内のライバルを次々に叩き潰していったのは徹底したレンタル商法にあった。コンピュータはコストが高い。数千万円、いや億になる。ところがIBMは、買い取り額の40分の1、いや50分の1という安い料金を毎月払うというレンタル方式で市場を席巻したのです。

しかし、レンタルで対抗するためには膨大な資金がいる。実は、この時期にIBMはプルーデンシャル・インシュアランスというユダヤ系の財閥から4億2500万ドル(当時のレート換算で約1500億円)という巨額のカネを導入していて、これがIBMが大飛躍する決定的な力になったのです。こちらもレンタルでいかなきゃ対抗出来ないのだが、とてもカネが続かない。それに、無理に乏しい資力でレンタルを行なっても、特許で技術の網をかけているIBMが、性能がよくて安い新機種を出せば、ユーザーが一斉にこちらのコンピュータを返却するという恐れもある。きわめてリスクが高いわけです」

まさに”技術の恐怖と資力の恐怖”による技み撃ちだが、小林や池田の熱弁で、コンピュータに大きな可能性の感触は覚えても、経営者として岡田は、IBMの巨大な資力を背景にした安いレンタル商法に対抗することの危険の高さに躊躇せざるを得なかったはずである。岡田のその躊躇を取り除かせたのは何なのか。

平松も、「IBMのレンタル方式はすごい仕組みで、ライバルを叩き潰す決め手になった。国産企業は技術で圧倒される恐怖とレンタルバックの恐怖におびえながら事業をせざるを得なかった」と、『証言昭和産業史』の中で証言している。

”レンタルバック(レンタルのための資カ)に対抗する切り札……”

61年8月16日、通産省の仕掛けで日本電子計算機(JECC)なる会社が設立された。この会社の基本要綱が決まったのは、61年の3月だが、日本電子工業振興協会は、日本電子工業界史ともいえる『30年の歩み』の中で、JECCを「メーカー共同出資のかたちで、日本開発銀行その他から低利の融資の道をつけたレンタル専門会社だった」と記している。

「レンタル制はIBMがPCS以来一貫してとっており、国産メーカーがIBMに対抗するためにはレンタル制を導入するしかなかったのだが、それには大きな資金力が必要で、国産メーカー個々の資金力では困難だとされていた。そこで共同会社を設立し、メーカーの資金と開銀その他の融資によって国産コンピュータの一元的なレンタルを行なおうとしたわけである」(『30年の歩み』)

しかし、レンタル会社と”日本電子計算機”という名前とは違和感がある。そこで設立の経緯を調べてみると、当初通産省は、コンピュータの生産まで行なう国策会社を計画していたのが、メーカーの要望なとがら、国が背後から援助する民間の共同出資によるレンタル会社というかたちに落ち着いたようだ。出資したのは、日本電気、日立、富士通、東芝、沖電気、三菱電機、松下通信工業の7社で、資本金10億5000万円だった。

通産省が、というより平松が、IBMから基本特許を国産メーカーに使わせる契約を取り付け、同時並行的に、IBMの資力の恐怖に対抗すべくレンタル会社をつくったのが”日本電子計算機”だったのである。

こうした背後事情がわかると、62年正月に岡田が「コンピュータに社運を賭ける」との大号令をかけだのに合点がいくのである。

通産省のコンピュータ事業に対する肩入れは”日本電子計算機”のケースだけではない。57年から66年までの10年間だけを見ても、いくつもの共同開発プロジェクトを発足させていて、合計6億5000万円の補助金を出している。

だが、こうした通産省の補助、支援を得てもなお、”金食い虫”コンピュータの開発には膨大な金がかかり、「とくにソフトウェアでの日米間の大きなギャップを埋めるために」(平山秀雄『わが回想録』)、各国産メーカーは競うようにアメリカ企業との技術提携に走った。

日立が61年5月に、RCAと技術提携を結び、62年2月には三菱電機がTRW(トムソン・レーモ・ウールドリッジ)と、さらに4月には日本電気がハネウエルと提携を決めた。スペリー・ランド(ユニバック)と交渉して来た東芝は、話し合いがつかず決裂すると、ただちにGE(ゼネラル・エレクトリッぃク)と交渉に入り、一方スペリー・ランドは沖電気に乗り換えた。

ところが、そんな中で、富士通だけは、どの外国メーカーとも提携せずに独自路線を堅持していた。もっとも、富士通は戦略的に、積極的な独自路線を採ったわけではない。
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登録日時:2007/10/08(23:39)

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