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[人物伝]続池田敏雄の生と死(2/2)

日立、三菱、日本電気、東芝などがいっせいに技術提携の交渉をはじめていることを知って、富士通の役員会でも、何度も提携問題が論議されていた。

「コンピュータの開発には巨額な費用がかかる。しかも、きわめてリスキーな性格のものだ。日立、東芝といった大手でさえ、その負担を回避するために、アメリカのメーカーとの技術提携を進めている。当社は、このままでは取り残されて身動きが取れなくなってしまうのではないか」

こうした意見が、むしろ役員会の主流だったのだが、社長の岡田は、内心、どうやら技術提携に反対だったようだ。

「『国産技術というのは、開拓の苦労を重ねていくうちに、副産物がたくさん得られるものなんだ。外国技術を買っていては、副産物は得られない。日本の技術を開拓すべきだ』これは、私が直接うかがった岡田さんの持論だった」(平山秀雄『わが回想録』)

そして岡田が独自路線論をとるに至った背景には池田敏雄という存在があったようだ。池田は「いろんな産業に密着し、国家の永久的な施設になっていくようなベースの技術を外国に依存するのはいいことではない」と親しい人間たちに洩らしていたという。

だが、各社の提携交渉が次々に締結されると、富士通内でも苛立ちが高まり、役員会でも「富士通が取り残されてしまう。何をしているのか」と、外国メーカーとの提携を求める意見が一層強まった。そうした意見に押されたかたちで、常務の高羅芳光がアメリカに飛んだ。

IBMと技術提携の交渉をするためだった。

高羅の渡米が決まる過程では、池田は沈黙を守っていたようだ。

もっとも、高羅のIBMとの交渉は実を結ばなかった。

「100パーセント出資ということ以外、他社との提携を考えたことはない。100パーセント出資でなければ技術をトランスファーしないというのがIBMのポリシーだ」(『ともかくやってみろ』)

と、にべもなく断られる。玄関払い同様のありさまだった。

富士通役員会が提携に傾き、高羅が池田に相談したとき、池田は「組むのならIBMしかないでしょう」と勧めたのだともいわれているが、彼の本意は外国メーカーとの提携に反対で、役員会が提携路線を決めたときに、あるいはIBMが拒否することを見込んで、”IBMとの提携”を進言したふしがうかがえなくもない。

池田は「語録」の中で「単に模倣的で、これはいいらしいとまねをするのは、私は屈辱的だと思う」と語り、「技術提携で得るものはほとんどない。むしろ提携することで技術開発に枠をはめられるというデメリットの方が大きい」という言葉も残している。

IBMに提携を拒否され、日本の大手コンピュータ企業で唯一独自路線を採らざるを得なくなったことについて、平山秀雄は『わが回想録』で次のように書いている。

「しかし、これはむしろ『岡田陣営』の望むところであった。事の成りゆきと、演出上、一応IBMに声をかけてみたが、実際に、それが成功するとは、コンピュータに関わっている者のなかで、誰一人思っていなかった」

”岡田陣営”というのは、池田敏雄の存在と限りなく重なる。おそらく平山は同義語として使っているのではないだろうか。

それにしても、「技術提携は、開発に枠をはめられるというデメリットの方が大きい」として独自路線を主張した池田が、この後、なぜ、それこそ”枠をはめられ”て、先行企業にふりまわされ、さまざまに縛りをかけられる「互換路線=IBMコンパチブル」の道にあえて突き進む選択をすることになるのだろうか。他社が外国企業と提携する中で、富士通が独自路線を固守しつづけた過程を辿ってみると、なおのこと、この後に池田が主導して行なう富士通のIBM互換路線への転換には疑問がつのるのである。


第11章 若手スタッフの突き上げ

1964年4月7日、IBMはアメリカの主要都市と世界14カ国で、いっせいに新シリーズの発表会を行なった。この新シリーズにかけるIBMの意気込みと物量はすさまじいもので、ワトソン・ジュニアは「フオーチュン」誌の記者の表現を引用して「それは第二次大戦時の原子爆弾開発プロジェクト、いわゆる『マンハッタン計画』の規模をもしのいでいた」(『IBMの息子』)と記している。

日本IBMでも、札幌、仙台、東京、名古屋、富山、大阪、広島、福岡の各会場に941社、2785人の顧客を招くなど大キャンペーンをくりひろげた。

この新シリーズは”システム/360”(当初6機種)と称されたが、ワトソン・ジュニアは「その名のごとく産業界と科学分野のあらゆるユーザーのあらゆる必要性を満足すべく設計されていた」と自信のほどを披瀝している。

全方位、つまり360度の完全汎用という、これまでにない画期的なコンピュータ・システムだというのだ。

確かに、それまでのコンピュータは科学計算用、事務処理用、プロセス処理用など、用途によって別々の機種を使っていた。だが、IBM360は1台で全ての仕事が出来るようになり、また、大型から小型まで、すべての機種に同じソフトウェアが使用出来るようになった。これは従来のコンピュータのイメージを根底から突き崩し、世界を一変させる事件だった。もっとも、IBM360が出現した当初は、日本の各メーカーは、大きな衝撃を受け、強い脅威は覚えながら、その正体を正確にはつかんでいなかったようだ。

だが、そのことを詮索する前に、IBM360のもう一つの特徴、その強みを記しておかねばならない。

IBM360は、実はIC(Integrated Circuits)を大量に搭載した世界最初のコンピュータだったのである。ICを使ったからこそ、360度=全方位という画期的なシステムが可能になったのだが、それではICとは何なのか。

ミルウォーキーのセントラル・ラボからスカウトされてテキサス・インスツルメンツ社(TI)に入ったジャック・キルビーがIC=集積回路の発想をまとめたのは1958年の夏だった。

コンピュータはどんどん大型化して、トランジスタを2万個も3万個も使うようになり、当然ながらそれらのつなぎ方、配線作業が難題となっていた。図面の上では、5万個、いや10万個以上トランジスタを使ったコンピュータの設計は可能だったし、また、そうした様々な機能を持つコンピュータが求められていたが、配線が複雑になり過ぎて、実際につくるのは不可能だった。つまり配線の複雑さがコンピュータ発達の決定的な障壁として立ちはだかっていたのである。

そこで、キルビーは、トランジスタから抵抗、コンデンサーまで、すべての部品を一枚の半導体基板の中につくり込んでしまおうと考えたのである。

「そうすれば配線の難題は解消し、いわば”数”の壁を突破することが出来るはずだ」

このキルビーのアイデア、集積回路が製品化されたのは1960年だった。TI社は、これを”ソリッド・サーキット”と名付けた。なお、キルビーと、ほぼ時を同じくして、フェアチャイルド社のロバート・ノイスが、やはり、配線を含む、あらゆる部品をシリコン・チップの中につくり込むことを考えていて、独自に商品化した。

もっとも、ICが商品化された当初は、シリコン・チップに搭載されたトランジスタは数個に過ぎなかったが、それが数十、数百、数千、数万と激増し、現在では数百万個、そして近い将来には数千万個になるといわれている。

そのICを、IBMがはじめてコンピュータに搭載したのである。その意味でも、IBM360は、新しい時代の幕を開いたコンピュータだった。

日本の各メーカーは、IBM360シリーズに強い衝撃を受けながら、懸命に対抗すべく、それぞれ新シリーズの開発に乗り出した。

当時、業界第1位だった日本電気は65年6月に、ハネウエルとの技術提携でNEAC2200型シリーズを発表し、日立もRCAのシリーズ・スペクトラ70を国産化したHITAC8000型シリーズを発表した。そして富士通も、ファミリー(同一のブランドでいくつかのシリーズを出すこと)としてFACOM230型シリーズを発表した。

技術提携すべきパートナーを持たない富士通は、独自路線のファミリー・システムでIBM360の嵐に対処しようと図ったのだが、その中核機種として開発したのがFACOM230-60という大型コンピュータだった。

「230-60の開発は、池田さんにとって相当重いというか、深刻だったと思いますよ。途中で凍結を決めながら、若い連中に突き上げられて、池田さんが、また走る、という、それまでだと考えられない場面が少なからずありましたから」

当時電算機技術部次長として230-60開発の補佐役を務めた黒崎房之助がいった。池田敏雄は、230-60開発の直前に電算機技術部長になっていた。

230-60の開発がはじまると、スタッフが池田家を合宿所替わりにして、徹夜の論議を続けるというおなじみのパターンになったが、これまでと違って、なぜか池田の口は重かった。

池田の”口の重さ”の原因を詮索するには、230-60開発に到る背景事情を仔細に点検する必要がある。                   ヽ
62年9月に、通産省のコンピュータ産業育成の一環として電子計算機技術研究組合がつくられ、3億5000万円の補助金を受けて汎用コンピュータの研究・開発が行なわれることになった。参加したのは富士通、沖、日本電気の3社で、その頭文字をとってFONTACプロジェクトと名付けられた。

富士通は大型機本体の開発を担当し、64年秋に日本電子工業振興協会に納入する一方、FONTACをベースに商用の大型コンピュータ(230-50)の開発に乗り出した。FONTACの技術は商用コンピュータに転用することが義務づけられていたからである。

ところが、FONTACを基盤にしたFACOM230-50の第1号納入先のはずだった東大の大型計算機センターが、日立のHITAC5020の導入に切り替えるという事件が起きた。富士通は、IBM360の登場という衝激とともに、いわばダブルパンチを浴びたわけだ。

しかも、東大が日立のHITACを導入した理由は、HITACのソフトのほうが国際性があるからというものだった。

日立はRCAと技術提携しており、RCAはIBMと互換路線を採っていたから、HITACはIBMのコンピュータとも互換性があった。つまり”国際性がある”とは、”IBMと互換性がある”ということで、独自路線をとっている富士通のソフトは、その意味で国際性に欠けると判断されたのである。

このことが、後に、池田敏雄がIBM互換路線に転じるきっかけになったともいわれているが、ともかく、日立に負けたことは痛恨事だった。しかも、この東大商戦は1つの予兆だった。

→続く


出典 「日本コンピュータの黎明―富士通・池田敏雄の生と死」 田原総一朗著
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B3%E3%83...


掲載内容の著作権は㈱文藝春秋に帰属します。
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登録日時:2007/10/08(23:42)

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