サイコさんのブログ

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細部

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  士業(弁護士、会計士等)  現在 11位村上春樹論 サブカルチャーと倫理読了。これは、論壇誌や文芸誌に載せた論評をジャンク的にかき集めてひとつの村上春樹論を構築した画期的な本である。大塚英志は、熱心な村上春樹の読者ではない、と最初に断っているのだが、間違いなくおたく的に熱心な村上春樹の読者である。この逆説とは、そもそも村上春樹がものを書き始めたときの立ち位置、その書く前の失語症にも似た長い歳月、村上も含めた50年代前後生まれの男性作家たちの発語をめぐる困難さとを同質な背景として醸し出されている。よく村上作品はアメリカ文学の影響を受けていて、まるでそれを翻訳したような小説、と言われるのであるが、村上が自己言及するにあたってアメリカ作家(ヴォネガット、ブローティガン、フィッツジェラルド、カーヴァー、デレク・ハートフィールドら)からの影響を受けていて、ほとんど日本語で書かれたものは読んでいない、としていることに対して大塚は、そのデレク・ハートフィールドの正体として庄司薫を上げている。細かなことはそれぞれのリンクにまかせることとして、この仮構を設定しておかなければ、まず語り始めることができないのであり、あくまで語ることはフィクションであり、作家の倫理としてそこに歴史を導入することへのためらい、を初期村上作品に大塚は見て取る。そして初めて歴史に言及する作品ねじまき鳥クロニクルにおいても、細部の描写の導入はフィクションとして書き込まれていることを指摘している。そして阪神・淡路大震災後、オウムによる地下鉄サリン事件を扱ったノンフィクションアンダーグラウンドがあまり他の批評家により評価されていない中、大塚は擁護する側であるかのように、「コミットメント」というキーワードから物書きの歴史に対する責任を評価している。話は少しそれるが、リアルのゆくえでも、大塚は東に対して書くことの責任、ということを言っていて、東にとってそれが「アキバ通り魔事件」ではあったのだが、まだ東はその責任をうまく取れていない気がする。後、先ほどから「歴史」といっているのだが、これはサルトル風な「時代」という社会性を狭義に捉えてもいることに留意していただきたい。さて話を戻すと、あれから10年、国際的作家、村上春樹はノーベル賞候補にまで上げられるのであるが、その比較として揚げられているのではないがノーベル賞作家大江健三郎との差異を「象徴」という点から分析し、そこでも村上に軍配を上げている。あまりにざっと書いただけなので、細部について言及していないのだが、これだけを揚げても、サブカルを越えて大塚は村上春樹の熱心な読者ではないのだろうか?その作品の細部について少し言及しておくことで今回締めたい。 ・・・前略・・・数値に置き換えずにはいられないという癖である。約8ヶ月間、僕はその衝動に追いまわされた。僕は電車に乗るとまず最初に乗客の数をかぞえ、会談の数を全てかぞえ、暇さえあれば脈を測った。当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる。 その時期、僕はそんな風に全てを数値に置き換えることによって他人に何かを伝えられるかもしれないと真剣に考えていた。そして他人に伝える何かがある限り僕は確実に存在しているはずだと。しかし当然のことながら、僕の吸った煙草の本数や上った階段の数や僕のペニスのサイズに対して誰ひとりとして興味など持ちはしない。そして僕は自分のレゾン・デートゥルを見失い、ひとりぼっちになった。                          ☆ そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本めの煙草を吸っていた。                                        (風の歌を聴けより) ここで頻出する数字には何の意味も宿ってはいない。村上春樹の軽さを槍玉にするのによく使われる箇所だろうと思う。実際、大塚も改行までの前半を引用して、もう一人の村上、村上龍の場合の日付を作中にどういう効果で使うか、という比較をしている。まぁ、兎も角は、無機質の対称として、彼女の死という重い現実を、すらっと書けてしまったからこそ、デビュー当時は賛否の否のほうが多くて、評価の俎上にも上げてもらえない、いわばサブカルとしての存在だったのかもしれない。グゥーーーー
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