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旧石器捏造事件 25年間 捏造批判を押さえつけた

25年間 ひはん発覚前の2点に限られる


「前・中期旧石器」が隆盛であった当時は批判が難しく、1986年の批判論文以後、再び反論が開始されるのは1998年の1点、及び2000年発覚前の2点に限られる。考古学界は捏造発覚以前の25年間、捏造を批判した学者や研究者を事実上の学会八分(村八分)にして、捏造批判を押さえつけた。例えば、1980年代初頭に批判を行った東京都教育庁の小田静夫[7]は、文化庁と国立歴史民俗博物館館長の佐原眞など、関係者の強烈な圧力を受け、東京都職員としての生命を維持するために、黒潮文化研究に方向転換せざるを得なかった。捏造発覚以降も考古学界は文化庁・歴博関係学者の批判を行わなかった[8][9]。1998年以後の批判の要点は、問題の石器資料群が、本来あるべき前期や中期の石器として「おかしい」という批判である。こうした正当な批判は、新聞社のスクープまで、学界として省みられることはなかった。
なお、日本考古学協会前・中期旧石器問題調査特別委員会最終報告後に、藤村の捏造の範囲は旧石器時代を越え、縄文時代にも及ぶことが明らかにされた。



1975年 、民間研究グループ「石器文化談話会」結成

1985~1986年
考古学界はそろって推進派の軍門にくだった

1992年には民間の東北旧石器文化研究所設立に参加、同9月、在野の考古学研究者を対象にした相沢忠洋賞(第1回)を受賞(後、返上)した。また、1995年には東北旧石器文化研究所も同賞(第4回)を受賞(後、返上)した。1999年に会社を退職し、同研究所職員となる。同研究所は2000年8月には、特定非営利活動法人として認証(2004年1月解散)
2000年11月5日の毎日新聞朝刊で報じられたスクープによって発覚した。


神の手」と喧伝され、芹沢長介東北大学名誉教授の推薦で「相沢忠洋賞」を受けた民間考古学者藤村は、「告白」公表の一瞬から、希代の詐欺師、20余年の歴史偽造を重ねた極悪人として報道された。

一方、捏造遺跡の「考古学的」公認、史跡指定、国・行政機関による宣伝、歴史教科書の執筆などに関与した文化庁・歴博関係の役人学者や、捏造資料を使った「研究論文」や専門学術書を書いてきた東京大学・東北大学・明治大学・東北福祉大学・同志社大学・岡山大学などの旧石器学者は、一片の道義的な責任、学問的責任すら問われることがなかった
 藤村断罪ののち、彼らはみな口をそろえて「藤村に騙された」と叫びだし、自己弁護のために自著の改訂に動き出した。捏造発覚後も文化庁の「お役人」の席を温めてきた岡村は、自著『縄文の生活誌』(講談社 改訂版2002年11月刊)で、「発掘や踏査の際に私たちが地質学者と交わす地層の年代・石器の特徴の見通し・予想などの会話に(藤村)氏は耳をそばだて、期待通りの石器を年代予想に合う地層に埋め込んでいたようだ。完全に裏をかかれたのである」と、書いている。
 学者の倫理的退廃はまさに極まったというほかない。
 外国でこのような事件が起きたら文部大臣・文化庁長官の引責辞職は避けられないことであろう。しかし「藤村断罪」の陰でこの事件の本質的部分は巧妙に隠されてしまった。

の事件の本質は、発掘現場の一作業員にすぎない藤村に、日本の考古学界が25年も騙され続けたなどという、破廉恥としか言いようのない関係学者の言い訳のなかに封じ込まれている。
騙したのは考古学者であり、騙されたのは偽りの歴史を教えられた国民である。




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