ユリウスさんのブログ

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碁の替歌 -コウの先生、他

 碁はいうにおよばず、遊びならなんでもござれの「游の達人」が大勢あつまる「碁吉会」というすばらしい会を主宰なさっている高野圭介氏から、年末の「ボウクリ会」(忘年会とクリスマスを兼ねた催し)の出し物として、替歌を出して欲しいと要請があった。替歌を作って、皆さんに歌ってもらうのは大好きなので請け負った。

 まず、野ばら社の「日本の歌(第4集、昭和40-53年)」をぱらぱらっとめくって、翔年がよく知っている歌で、だれでも歌いやすそうなものを探しました。森昌子が歌った1972年のヒット曲「せんせい」でいこうと決めました。(このとき既に、高野先生が脳裏にありました)歌詞の一番を2回口ずさんで、碁のイメージを頭に描いたら、替歌の歌詞がするするでてきました。慌てて紙に書き留めて、語句を手直ししたら、あらら、半日でできちゃいました。できちゃった替歌をご覧下さい。


「碁の(コウの)せんせい」    

(元歌)  阿久 悠作詞 遠藤 實作曲  唄 森昌子
淡い初恋 消えた日は
雨がしとしと降っていた
傘にかくれて 桟橋で
ひとり見つめて 泣いていた
幼い私が 胸こがし
慕いつづけた ひとの名は
先生 先生 それは先生


薄い黒石 死んだ日は
白がチクチク攻めてきた
手入れを忘れて 死んだ黒
石を見つめて 泣いていた
拙い私が 胸こがし
慕いつづけた ひとの名は
先生 先生 碁の先生

2 
力の限りに 考えて
連絡はかるも 無駄なこと
恐い白石 悪い石
放り込み打たれて 死んでいた
何とも言えない 悲しみに
胸をいためた ひとの名は
先生 先生 コウの先生

(くりかえし)
碁を打つことの しあわせを
そっと教えた ひとの名は
先生 先生 高野先生

※囲碁を知らない人のために
コウは囲碁用語。高野圭介先生はコウ争いに強いのは勿論、碁がめっぽう強い。



 ボウクリ会の後は正月の遊びの歌留多、百人一首の替歌とまいりましょうか。

(2 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山   持統天皇)
序盤過ぎて中盤来にけらし白妙の風呂敷ひろげるアマの天狗山  アマの天狗

(5 奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸太夫)
深奥の手筋かきわけ聞く石の声聞く時ぞ心うれしき 猿真似太夫

(7 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも   阿倍仲麻呂)
アマの碁の振り変わりみれば悲しなる二、三十目も足らぬ局かも アマの仲好

(10 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関   蝉丸)
あちこちとつけては跳ねて切りまくり死ぬも死なぬもザル碁の局 細川捌輔
三連星打つも打たぬも広げては知るも知らぬも大風呂敷の碁   竹宮太夫

(14 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに 川原左大臣)
隅奥のしのぶもぢずりそれよりも乱れそめにし今日の右隅   乱れ星朝臣  

(17 ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くくるとは  在原業平朝臣)
昔より助言も聞かず大甘碁地をくれないのコミが出ぬとは    無茶門殷

(20 わびぬればいまはた同じ難波なるみをつくしてもあはむとぞ思ふ  元良天皇)
わびぬれば今また同じ形なり技尽くしても生きむとぞ思ふ   悪形天皇
わびぬれば6目半の大ゴミぞ何が何でも出さむとぞ思う   小寄席名人 

(23 月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にあらねど  大江千里)
那智黒に千々に蛤乱れけり我が身一つの臥所にあらねど  囲碁愛奴

(48 風をいたみ岩打つ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな 源 重之)
切りをいたみ防戦の戦始まりぬ獲られて物を思うころかな  無力の朝臣   

(60 大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立  小式武内侍)
大斜がけいく野の道の遠ければまだ勝ちも見ず無理な石立て  力自慢法師

(70 さびしさに宿を立ちいでてながむればいづこもおなじ秋の夕ぐれ  良暹法師)
悔しさに席を立ちいでて盤みればいづこもおなじ屍るいるい  悪力法師 
苦しさに盤を立ち出でて眺むれば煙草の煙目にぞしみいる    弱虫太夫

(77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ   崇徳院)
切をいたみ目つくりせかるる中盤の捌きの末は生きんとぞ思う   捌きの輔

(99 人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑ物思ふ身は   後鳥羽院)
死ぬは嫌殺すはあじきなし接待碁商談願ふ物思ふ身は   接待関白


※多すぎる囲碁用語の解説は無粋なので省略しました。碁をご存じない方、ごめんなさい。
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