年末年始相場は、少額で参戦か、休んで鋭気を養え

著者:矢口 新
投稿:2016/12/12 12:31

ウォレン・バフェットはトランプラリーで最も恩恵を受けた

今年もクリスマス休暇、年末年始が近付いてきた。
私が相場を始めた1980年代の初めは、12月に入ると、シンガポールの各銀行からクリスマスカードが届くようになり、「年内の業務は終了しました」などという、のどかな時代だった。次いで、香港やオーストラリア、米西海岸の銀行などが続いた。
1984年に円をからまない他通貨ペアでのインターナショナル・ブローキング(IB)が解禁されてからは、欧米の銀行からも届くことがあった。

東京はカレンダー通りの出社なので、長期の休みとなる訳ではないが、何しろ市場が動かないので、「市場で謎の中国人”超閑散”が跋扈している」などと、暇つぶしだけに出社するような状態だった。

当時は、東京外為市場には開始と終了時間があり、開始は午前9時、終了は午後3時半だった。昼休みがあるので、実働5時間半くらいの仕事だった。その頃、私は外為インターバンク・ブローカーをしていたので、8時頃出社、終了後は30分ほどで銀行相手の取引再確認を終えると、基本的には自由だった。早い時間からブローカー仲間や、銀行のディーラーたちと飲みに出掛けたりした。
何しろ、真っ直ぐ家に帰れば、テレビでの大相撲中継にも間に合ったのだ。

それもIB解禁までだった。私は英ポンド、豪ドル担当で、東京の銀行相手の通常のブローカーに加えて、IBで海外のブローカー同士を繋ぐリンクマンを担当したので、1本の同じリンクラインの中に、朝早くはシドニーがいる。東京が終えても香港、シンガポールがまだ残っている。そのうちヨハネスブルク、チューリッヒ、フランクフルト、ロンドンと入って来るので、残業が当たり前のようになっていった。

とはいえ、1985年の初夏に証券会社に転職したので、リンクマンは約1年で終えた。一方、証券会社では外債ディーラーとなったので、朝は7時前に出社、週2回ほどは当番で6時頃出社、帰りは終電後でタクシー帰りが当たり前になった。深夜になると、会社の前はタクシー乗り場のように、何台もハイヤーやタクシーが並んでいた。今だと、問題になるのだろうか?

その後はずっと、競争がどんどん厳しくなってきているので、ディーラーでも12月に大手を振って休めるということが少なくなっている。また、必ずしも12月にブックを閉じる訳ではなく、過去しばしば起きている年末年始の大動きに備えるところも増えている。ましてや、今年は10月までヘッジファンドのほとんどが損失を出していたので、トランプラリーで挽回中の今、早々と手仕舞うだろうか?

トランプ批判の急先鋒の1人だったウォレン・バフェットも、トランプラリーで最も恩恵を受けたと言われている。ちなみに、トランプ氏は共和党指名候補となって以降、持ち株を売り払ったと言われている。こちらは儲け損ねたわけだ。
どちらも、何かを得て、何かを失った。

一方ドル円の投機筋の動向は、今年の年初以来ドル円ショートで攻め続けてきたが、10月以降縮小、トランプラリーのショートカバーで11月末にほぼスクウェアとなり、直近のデータでは急速にドル円ロングが進んだ。いま、まさに攻めている最中だ。

とはいえ、クリスマス期間、年末年始はフルメンバーが揃っている訳ではなく、流動性の低さ故の大動きも予想される。そういった相場では、個人投資家の勝ち目は薄い。どういうものかと体験のために少額で挑戦することを除いては、来年に備えてゆっくりと休み、鋭気を養っておきたい。

年内は今週、来週で「仕事」納めでいいのではないか?
配信元: 達人の予想