kouboudaisiさんのブログ
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法然上人「一枚起請文」より
唯(ただ)往生極楽(おうじょうごくらく)のためには南無阿弥陀仏と申して疑いなく、往生するぞと思いとりて申す外には別の子細候わず。(中略)
念仏を信ぜん人はたとえ一代の法をよくよく学すとも一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じくして智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。
極楽往生を実現するためには、南無阿弥陀仏と念仏申せば、間違いなく一点の疑いもなく往生できると、心の底から思いとり信じきることです。往生とは、その信心の誠心と確信のほか何の理由づけも意味もありません。
この念仏の功徳を信じ極楽往生せんと願う人は、かりに釈尊の説かれた仏法をいかに深く学び学徳知識を備えようとも、それを一切捨て去り、一文不知、愚痴・愚鈍のわが身に立ちかえり、無智な尼入道と同じように、決して智者ぶることなく、ひたすら口称念仏をしなさい。それが唯一の極楽往生への道なのです。
専修念仏のみが一切の凡夫・大衆を救う唯一の教えである、と決断し浄土宗を開いた法然上人は日本人に精神革命をもたし、過去の日本伝統仏教に決別宣言をしました。1212年のことです。不安と絶望に苛まされる民衆を救うには、悟り自力正道門では救いきれないと考えたからです。
それが明恵上人や天台座主慈円に批判され、土佐に流罪となる訳です。
私も口称念仏だけで極楽往生が出来るものなら、そのようにしたいのですがなかなか難しそうです。そもそも釈尊は死後のことは六道輪廻はもとより、一切無記を通したのですから考えてもしょうがありません。
やはりお坊様でしたか。
かわったIDだとおもってた。
どんな悪いことやろうが助けてくれる仏教。
いろいろありますね。
生臭坊主もありですよ。
このまえ法話で怒ってた坊さんがいた。
まだまだ修行が足りんなと。
お金をもらって怒ってるのは学校の先生だけ。
お布施をもらえば、それでよし。
ひたすらお勤めをして、気持ちよく送り出すのも大事かと。
青臭い坊さんもいますね。