揚輝荘 揚輝荘は元々は松坂屋の前身でもある「株式会社いとう呉服店」の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民の別荘として、約1万坪(35,000平方メートル)の森を拓いて築かれた。1918年(大正7年)に最初の建物が移築され、修学院離宮を参考にした池泉回遊式庭園が造られるなどして、最終的に完成した昭和12-14年頃には移築・新築された30数棟があったという。大正から昭和初期にかけては皇族や華族、政治家や著名人の他に外国人も多数訪れ、国内からの寄宿生に加えて留学生の受け入れも行っていた。
ここの写真もほんの一部
伴華楼
白雲橋、修学院離宮の千歳橋を模した。
もり銀さん
こんばんは。
ここも全部見て回ったわけでなく、名古屋市内でも最もお金をかけた
建築物が多く、粋な名古屋の大工さんの技術が素晴らしいです。
頼んだ人が大金持ちですから、最高の建築物を作らせたのでしょう。
中に入るには前もって予約がいるとのこと。
お役所仕事には参ります。
これだけの庭園をただで見れるのはいいですが。
夏は蛇が出そうでちょっと怖いです。
紗々さん
こんばんは。
このころの名古屋の大工さんすごく粋な人が多く、
素晴らしい建築方法でした。
うちも別荘はこれに似た感じに細い柱にかかわらず、あの大地震を生き残った建築物。
粋な中にも地震に強い強靭なうちの作り。
昔から宮大工の秘術が生きています。
こんにちは
真ん中の写真。
クリームとグレーの市松がモダンですね。
それにもまして、外壁のハーフティンバーの意匠がおもしろい!
ドイツやオランダあたりにも残っていますが、
こんなふうに自由に現したものは見たことがない。
構造的な合理性を遊び心で外壁にデザインしたのでしょうが、
大工の腕がよかったんですね。
やらせた施主が粋です。
こんにちは。
戦前の建築、日本にもとても意匠をこらしたものがたくさんありますね。
これもその一つなんでしょうか。
和洋折衷?
こういうのを見ると、現在の個人所有の建築には重みが感じられないものが多いように感じます。
大切に保存していただきたいと思いました。
できれば拝見したい建物です。
知りませんでした、これ^^;
ぽけぽけさん
こんにちは。
寒い時期ならこれますが、水場が多く、普段は怖いです。
北園しか見ませんでした。
広すぎて回りきらないです。
おはようございます。
日泰寺のお隣ですね。
洒落た建物、歴史を感じる建物、いろいろあって、散歩するのに
とても良い所だと思いました。もうしばらく行っていませんが。
昔はもっと広かったと聞いています。
yocさまの日記見てると、行きたい所がたくさん出てきます♪
kattanさん
おはようございます。
そうですね、張り出しは昭和初期の木造建築の出窓にはよく用いられました。
これがかっこよく作られているのが名古屋の棟梁の粋なところでしょう。
このうちを見たら懐かしさがこみ上げます。