元祖SHINSHINさんのブログ

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キスカの勇戦に ”神助” 現はる(朝日)

「ムー9月号(学研)、P164~167より抜粋・一部改変」

★1943(昭和18)年5月、アッツ島・日本軍全滅
 近隣のキスカ島守備隊(峯木少将以下5,700人)、
 アリューシャン列島にて孤立

★キスカ島周囲には、30隻をこえる米軍艦・潜水艦
 武器・食糧の供給も断たれる

★7月22日、近隣アムチトカ島よりカナダ軍も加勢し、キスカへの攻撃本格化
 するが、季節的な濃霧の発生により守備隊は延命していた

★大本営が、米国最新レーダーをかいくぐりながら救援に向かうが、
 (木村昌福少将による第5艦隊・第1水雷船隊)
 如何せん濃霧待ちで、援助の隙がなかった

★7月23日、アッツ島南西200海里に7隻からなる影を、
 米軍がレーダーで捕捉、出撃するも日本軍を発見できず

★7月26日、キスカ島南西80海里に7隻の船隊を米軍レーダーが捕捉、
 他の米軍船艇からも同様の報告が続き出陣、
 濃霧のため目視確認なしで攻撃開始、
 米軍は日本軍からの魚雷、砲弾着弾を確認、
 同時刻、キスカ島にいる援助を待つ守備隊にも砲撃と爆音が確認される
(米軍の30分間に使用した弾薬14インチ砲弾518発、8インチ砲弾487発) 
 しかし翌朝、日本軍の残骸を発見できず
(第5艦隊は、実際にはキスカ島の反対側海域にいた)

★7月28日、消耗しきった米軍全艦はキスカ島南南東105海里に集結し、
 物資補給態勢を敷く

★この隙に、第5艦隊がキスカ島へ入港、わずか55分間で守備隊5,700人収容

★7月30日、米軍がキスカ島へ戻り、連日の集中砲火
★8月3日、8月12日にも、数千発に及ぶ大集中砲火
 「灯がちらつくのを見た」「曳光弾を見た」「対空砲で攻撃された」
 「機銃掃射で日本兵を殺した」と多くの米兵が告白

★8月14日、米軍、キスカ島へ上陸、艦艇100隻・34,000人
 島に日本軍がいないとは想像していなかった米軍は、
 同士撃ちにより56人の死傷、
 さらに日本軍が残した機雷により130人近くが死傷
 上陸から半日後、日本軍基地に残された3匹の軍用犬を発見、
 日本軍がいないことに気がつく

★第5艦隊がアッツ島のそばを通った時、多くの日本兵が「おーい、おーい」
 「万歳!万歳!」という声を聞いた

★かくして生還した日本兵は誰もが、
 「アッツ島の英霊が自分たちを助けてくれた」と信じているという

PS:旧首相官邸にも、いまだ日本兵が出るという。
   こういうのが、本当の神風ではないだろうか?
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