ヨッシーさんのブログ

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忘れたい日、忘れてはならない日、忘れられない日

平成16年10月23日午後5時56分、私の街は一瞬にして瓦礫の街と化しました。新潟県中越大震災です。あの日から私と私の家族の生活は一変しました。それは死と隣り合わせの生活の始まりでした。今でも目を閉じるとあの日の光景がまざまざと蘇ってきます。

あの日、4歳だった長男がスーパー銭湯に行きたいと言い出したので、かみさんと1歳だった次男を家に置いて出掛けました。お風呂に入って、その帰り道の車の中で今までに経験したことのない激しい揺れの直撃を受けました。最初は追突されたのかと思い、まさか地震だとは知る由もありませんでした。たまたま、つけていたラジオから「地震です。」というアナウンサーの慌てた声が流れ、初めて地震が起きたことを知りました。車の窓から外を見るとまだ電柱も標識も電線も大きく揺れていました。ブロック塀はいたるところで崩れ落ちて、見慣れた街はもうそこにはありませんでした。

地震が起きて真っ先に気になったのは、家に残してきたかみさんと次男でした。余震が続けて起きている中で無我夢中で家に向かいました。何とか家に帰り着いて中に入ると、家のタンスや家具はみな倒れ足の踏み場もないような無残な状態でした。その中で裸で震えているかみさんと次男がいました。ちょうどお風呂に入っているときに地震の直撃を受けたのです。

私はかみさんに服を着るように言い、次男に服を着せて、家族4人で外に逃げ出しました。とりあえず車の中に避難しようと思ったのです。車に入る直前に大きな余震が私たちを襲いました。地鳴りを伴った強烈な揺れは今までの地震という概念を完全に覆しました。車ですぐ隣にある体育館の駐車場に停めても余震は次から次へと襲ってきました。

そのうち家にいるのがみんな怖いのか、徐々に体育館に人が集まってきました。私たち家族も様子も見に、その輪に加わりました。でも、体育館は天井が落ち、ガラスも割れており中に入れません。そこで、体育館の前の広場にみんな持ち寄った敷物や毛布の上に座って、いつ果てるとも知れない余震の恐怖と戦っていました。そうしているうちにも余震が度々襲ってきて、あちこちで悲鳴が上がります。まさに生きた心地がしない夜となりました。

夜になり寒くなったので、我が家族は車に戻りました。でも、みんな極度の緊張で誰も眠れません。長男は「もう地震こない」と何度も聞いてきましたが、「大丈夫だよ」と手を握ってやるのが精一杯でした。その後、徐々に情報が入ってきて物凄い地震の真っ只中にいることが分かり、翌朝には甚大な被害の状況も知れるところとなりました。

あれから3年の日々が過ぎました。いろいろなことがありすぎた3年間であと言う間に過ぎたというのが実感です。この間に全国の多くの皆さんから義援金や励ましの言葉をいただき、復興に向けて懸命に努力してきました。この場をお借りして感謝を申し上げたいと思います。

10月23日、悪夢のような日は忘れてしまいたい、でも、この震災で亡くなった方、怪我をされた方、家を失った方など多くの被災者がいたことは忘れてはならない事実です。結局、何年経ってもこの日は忘れられない日なのです。この日から逃れられないのです。でも、この震災で命の大切さ、生き続けることの難しさ、死とは何か、生きるとは何か、などいろいろなことを考えさせられ、学びました。来年のこの日まで悔いのない生活を精一杯送りたいと考えています。
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18件のコメントがあります
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    ヨッシーさん
    2007/10/24 06:23
    みやまなさん

    もう3年というべきか、まだ3年というべきか、正直よく分かりません。最初に1年は無我夢中でしたし、その後の2年は何とか元の生活へ、復興へということしかありませんでした。
    あの時もちょうど寒くなりかけで、今年も寒くなってきました。私たちはほぼもとの生活に戻りましたが、7月の中越沖地震の被災者はこれから厳しい仮設住宅での冬になるでしょう。
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    みやまな鉄砲長さん
    2007/10/24 01:27
    もう3年もたつんですね。。。
    ヨッシーさん以外でも、
    地震と戦った人たくさんいるんですよね。。。

    天災は、ほんと予期しないときに来ますしね。
    私は東京で、寒くなった新潟を見てました。
    テレビでも寒さが伝わって来るような映像でしたよ。。。(-_-;)
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    ヨッシーさん
    2007/10/23 23:17
    たけちゃんマンさん

    本当に生きていられるということは有り難いと思います。地震を通じてそれが分かるようになりました。それまでは、寝て起きて仕事に行って帰って寝る、というのが極普通のことと思っていましたが、それは物すごく幸せなことだと思います。また、来年も日記に書いてみたいと思います。そしてそこには今より前向きに進んでいる自分がいることを願っています。
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    たけちゃんマンさん
    2007/10/23 23:12
    今でも克明に記憶しているということが衝撃的な地震だったと改めて痛感させられます。生きていることに感謝致します。語弊があるかもしれませんが、ヨッシーさんいつまで忘れないで下さい。また来年も是非日記に書いて下さい。
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    ヨッシーさん
    2007/10/23 22:52
    青若葉さん

    地震の備えは非常用品を揃えることより、タンスなど家具の倒壊防止対策をすることが有効だと思いました。うちは何もしていなかったので、タンスから何から全部倒れてしまい大事なものを持ち出すことも大変でした。それらが倒れていなければ、地震が起きた後でも必要なものを取りに戻ったり出来ますからね。あと、水はどうしても必要です。あったほうがいいのは、携帯電話のカー充電器です。電気が止まると充電できませんから車で充電できる充電器をひとつ買ってグローブボックスに入れておくと重宝します。
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    青若葉さん
    2007/10/23 22:45
    なかなかうまく書けませんが、止まっている新幹線が余震で少し跳ねているように見えた映像など、衝撃的な映像はまだ覚えています。
    地震は台風と違って予測出来ないので備えは大事、と言いながら、家にある備えは余分のミネラルウォーターがあるくらいです。
    他の備えも、この機会に見直さないといけないと思いました。
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    ヨッシーさん
    2007/10/23 22:01
    株育成計画2さん

    私は震災を通じて生きていられることの有り難さ、死は生のすぐ隣にあるということを学びました。今日も生きていられてよかった。明日も元気に目覚めたい。そしたら思い切り後悔のない様に過ごそうと思っています。
    明日も頑張るぞ!!
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    育成計画さん
    2007/10/23 21:56
    ヨッシーさん、
    そして被災された方々に、
    ご加護がありますように祈らずにはおれません。
    何があってもくじけずに、
    誰も皆一生懸命生きなきゃいけないと、あらためて思いました。
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    ヨッシーさん
    2007/10/23 21:54
    みのりさん

    あの年は地震を境に急に寒くなりました。夜を車の中で過ごすのに寒くて、怖かったですけど家に戻り毛布を取ってきました。結局3日くらい車中泊でしたから。
    みのりさんもかなり地震にあわれているようですね。こればっかりは慣れるもんじゃありませんから嫌ですよね。今年の7月に起きた中越沖地震の時もかなり揺れたんですが、やっぱり動揺しました。ちょうど子供二人連れて買い物行っていたときでしたので、自分のことより子供のことが心配で。長男は今7歳になりましたが、3年前の地震のことを思い出していたようです。トラウマにならなければいいですけど。


    イカのおすしさん

    被災地のみんなは本当に全国のみなさんの温かい声援で勇気づけられています。大袈裟なようですが、失うものは何もないですから前向きに突き進んでいくしかありません。復興してこそ、全国の皆さんのご声援に応えられるというものですから。私も今日を機に改めて頑張ろうと思いました。
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    イカのおすしさん
    2007/10/23 21:50
    やはり、実際に被災された方の文章は重みがありますね。
    ヨッシーさんをはじめ、被災地の方々は前向きに頑張ってらっしゃるようで、僕も負けずに頑張ろうと言う気持ちになりました!
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    ヨッシーさん
    2007/10/23 21:04
    ぎっしーさん

    地震は体験しないにこしたことはありませんが、実際に体験するといろいろ用意していても何も持ち出せませんでした。命からがら着の身着のままで逃げ出すのが精一杯でした。携帯も不通でしたから、なかなか家族の安否やいる場所の連絡がとれないケースが多かったみたいです。何かあったらここに避難というのをあらかじめ家族で決めておくのは大事かもしれませんね。


    しぶきさん

    あの日のことは忘れられませんし、忘れてはならないんでしょうね。あの夜は自衛隊のヘリや報道のヘリが上空を飛んで内戦でも起きたのかと思うほどでした。自衛隊のヘリは近所の高校のグラウンドに下りたのですが、低空飛行してくると物凄く揺れるんですよね。思わず余震かと身を固くしてしまいました。
    実は10月23日は結婚記念日で忘れようもない日になってしまいました。
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    しぶきさん
    2007/10/23 20:57
    いやぁ・・・今日の日記は、ヨッシーさんの体験された震災の「凄み」をまざまざと見せられた思いです。気がつけばもう3年も経つのか、という感じですが、あのときのニュース映像は、体験していない私でも、ついこの間のことのように鮮明に記憶に残っています。

    私も関西に住んでいますので、阪神大震災のことは忘れられません(実家の壁には、そのときの地震でできたヒビが、今も残っています)。

    忘れたくても忘れられない、忘れてはいけないというお気持ちは、震災に逢われたヨッシーさんだけでなく、私たちにも言えることで、決して忘れてはいけないことだと、改めて思いました。今日は私の心の奥の、震災のその時のことを、少し思い出しました・・・。

    これからも、力強く、がんばってください!
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    ぎっしーさん
    2007/10/23 20:53
    こんばんは、ヨッシーさん

    正直、私自身、大地震未経験者で、報道などで伝わる情報しか知りえなく申し訳ございません。阪神淡路、中越などの大地震が起こるたび、また、防災の日などには、家族と、集合場所の確認や避難用品の準備、などするのですが、どうしても、時間が過ぎると、もしもの備えへの注意力が低下していってしまいます。今回の、ヨッシーさんご家族の心の傷、その際の状況が、コメントからもはっきり伝わります。自分が、同様に当事者となった時に、平常心を保ち、踏ん張れるかと不安も正直あります。東海地震も来る来ると言われ続けています。もしもも時のために、本日より気を引き締め常に準備をしておこうと改めて思いました。ありがとうございました。
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    ヨッシーさん
    2007/10/23 20:52
    はなさか兄さん

    まさか自分のところの大地震が襲ってくるなんて想像もしていませんでした。でも、日本に住んでいる以上、どこにいても可能性はあるんでしょうね。被害が出るような大地震はもう来ないで欲しいですね。


    ナイス橋本龍太郎さん

    あと言う間の3年でした。いろんなことがありすぎて長かったようですが、目を閉じれば昨日のことのように思い出されます。何年経っても忘れることはないでしょうね。


    ウランママさん

    ウランママさんも阪神大震災のときは大変だったみたいですね。こういうのは体験しないと分からないですよ、やっぱり。生き地獄というか生き延びれるんだろうかという心配が付きまとっていました。朝起きると、今日も生きていられたって本気で思っていましたからね。


    10%の独断決定者さん

    今日は自宅で5時56分に黙祷をしましたが、目を閉じるといろいろな光景が蘇ってきて涙が出ました。被災地が復興しようと頑張れるのも、全国も皆さんの温かい応援あってこそです。ありがとうございます。
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    68人が死亡し、住宅およそ12万棟が被害を受けた新潟県
    中越地震から3年ですね。NHKニュースでも、
    犠牲者を悼む追悼集会・式典が行われた様子が
    報道されていましたが・・
    被災地の皆さんの頑張りには、頭がさがる思いです。
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    ウランママさん
    2007/10/23 20:31
    こんばんは、もう3年が、経つんですね。早かったです。

    私は、阪神大震災の時に、その近くに大阪ですが、かなり、きました。家の食器棚は、落ちてきて、すべて壊れました、ガラスの破片が、あちこちで、ワンちゃんが吠え、ベットが動き、塀のブロックが、壊れた程度でしたが、けっこうきてますね。

    神戸の人は、家が、ぺしゃんこ、後は皆さんがテレビで見た光景です。
    あんな怖い思いした事は、忘れられない事です、今地震があちら、こちらと、ニュースで、見る度に、心が痛みます。

    亡くなった方には、申し訳ないですが、自分の家族が、なんともなかった事に、感謝の日々を、送っていました。ヨッシーさんとこも、地震体験者だったんですね。本当に大変な経験をされたんですね。

    一生心に、残ると、思います。でも、無事で、なりよりです。
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    こんばんは。あれからもう、3年も経つのですね。
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    はなさか兄さん
    2007/10/23 20:17
    大変だった様子が伝わります。このような災害が到来しないよう願って止みません。