ISAC.WaKSさんのブログ
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投資の義
今年のいままでの実績はROI(利益/投資資産)でほぼ50%である。株式市場の今年のうねりが比較的はっきりしているのも理由の一つだが、私自身は自分の投資法がほぼ確立されたと感じている。その投資法は現在二つあり、ひとつは順張りの短期スゥイング投資で、もうひとつはオプシオンの併せ売りです。株式の投資シミュレーションと実戦を30年くらい経験したきて先般めでたく退職したが、このような時期に合わせて自分なりの手法が大体見えてきたのを幸運に思う。
しかし、実社会で活動しているときは世の中に付加価値を加える作業に関与しているという満足感があったが、投資の成果はどうもむなしい。麻生総理が言ったように他人がどうみるかは別にしても、また証券業界の仕事が全体として付加価値のないものだとは決して思わないが、個別の投資活動はやはりほとんどゼロサムの世界で、自分の得は他人の損という構造になっている。信用取引の評価損益データから多くの個人投資家は損をして機関投資家が利益をだしていることはよく知られている。愚問だとは思うが、機関投資家は世の中のためになっているのだろうか。ハゲタカファンドは当然のように批判されるが、日経平均やダウ平均をベンチマークにする投資信託などは結果としては経済の後追いをしているだけのように見える。
板橋で個人資産家が自宅に現金を保有しているために殺される事件があった。たんすに眠っている現金を企業活動などの資金に回すことができれば景気もよくなるという。自分がなにかのビジネスを始めるとしたら、マーケット調査や資金計画などなど検討しなければならないことは山ほどあり、投資に比べるとかなり大変なのは明白だ。だから正しいビジネスをする経営者を応援するために出資をしようというのは義があるように思える。この考え方で常に利益が出てその恩恵にあずかれるのならハッピーだが、破綻してしまえはその義はどうなるのだろう。逆に利益は正義と考えたいが、どうも腑に落ちない。誰か教えてほしい。
「寝言は寝てから」という声が聞こえてきそうだ。
今晩は
貴公は立派なテーマを考えているのですね。
投資法を確立し、その上、投資の義ですか?
私にはとても考えられない。
同じ年頃の人間とは思えない稚拙な自分を嘆く。
近頃、<清く正しく美しく> なんて言ったら変人扱いされる社会になってしまった。いや、我々がそうしてしまってのだろうと自責の念を禁じえない。
そんな状況で、義を考えるとは立派ですね。
恐れ入ります。
恐れながら私も少しは考えてみよう。
Thanks for inspiring me to look for bright future.
義についてどうこう言う意見は個人的にはないですが、
ある人が(個人投資家)「お金の幸せがあって心の幸せが作れる。
お金が無いとなにもできない、いまお金が有るから
寄付もできる」こんな事をいってました。
一つの考え方だな~って思います。
コメントありがとうございます。
例えば床屋さんで株で儲けた話をちょっとしたところ「それってずるくない?」という返答が帰ってきました。少しズシンと来ました。
barujalanさん
いい言葉ですね。寄付ができるよう心のリッチな投資家になりたいですね。