ユリウスさんのブログ

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続アインシュタインに学ぶ -ユーモア&ウイット-

 「ジャパン碁コングレスin 宝塚」(7/15-7/18)で久しぶりに多くの碁友と旧交を温めることができた。古い碁友の中に「もの言う翔年」の読者がいらっしゃるのを知ったことは、これまた意外で、望外の喜びでした。
 
アインシュタイン博士の名言にユーモア溢れるものがあるという話題に花が咲きましたので、それらを拾い集めてみることにしました。


 博士はアメリカ亡命後もドイツ語訛りがとれず、英語がなかなか上達しなかったそうです。右の舌を出している博士の有名な写真は、大学の講義で英単語のスペルミスを学生に指摘された時に撮影されたものだそうです。博士のお人柄の一端が浮かんできますね。

 もう一つ。博士は研究には熱心でしたが、私生活では面倒くさがりで、洗濯用石鹸で顔を洗い、雑巾で顔を拭き、灰皿に食事を盛りつけるなど常識外れの一面があった。いつも髪の毛はくしゃくしゃで、足の裏からの過度の発汗のために靴下を履くのを極度に嫌われたそうです。
※ このエピソードは弓場隆訳「アインシュタインの言葉」(デスカヴァー・トゥエンティワン刊)を参考にしました。


 まずは「物理学ネタ」からはじめましょうか。

人々が恋に落ちるのは重力のせいではありません。(Gravitation is not responsible for people falling in love.)
→ 日本語では「恋」は人間が能動的に「する」ものですが、英語表現では人間は「恋」になぜか「落ちる」ものなのです。物理学で万物が落ちるのは「重力」があるからと教えられるのは世界共通ですから、物理の時間に先生がこういう冗談を若い学生に言ったら、きっとうけたに違いありません。(笑)

 その上、私生活でも博士は「落ちやすい体質」であったという節も随所に見受けられるのでなおさらです。因みに最初に落ちたのは学生の時に知り合ったハンガリー出身の3歳年上の女性で、母親の大反対を押し切って23歳の時に結婚されています。

 それに言わずもがななのに、最初の奥さんと二度目の奥さんを比べてこんなことを言って笑いをふりまいています。

前の妻は科学が理解できたが、今度の妻は科学が理解できないので助かる。
→ その助かった二番目の奥さんが死去された後、別の女性と交際していたといいます。



可愛い女の子と一時間一緒にいると、一分しか経っていないように思える。熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな一時間よりも長いはずだ。
相対性とはそれである。
(When a man sits with a pretty girl for an hour, it seems like a minute.But let him sit on a hot stove for a minute - and it's longer than any hour.That's relativity.)

→ 普通の人には理解が難しい特殊相対性理論と一般相対性理論を構築された博士の言葉だけに、このウイットに味わいが出てますね。



 次は「結婚」、「常識」、「失敗」、「自責の念」、「ユーモア」などについての博士一流のジョークを並べます。

ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という。
→ いかがですか? 反論のある方はコメントをお願いします。


異教徒どうしの結婚は危険です。いや、よく考えれば、どんな結婚でも危険です。
→ 博士は別のあるところで、家庭をあずかる奥さんは家具や散らかっている物を片づけることに意を注いでいる。それで旅行に行ったとき博士を「片づけたがるので困る」とこぼしておられます。どうやら博士にとって構われたり、細やかな愛情を注がれたりするのは迷惑で、自由放任の結婚生活に憧れがあったらしい?


常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
→ いつも自分のあたまで物事の根本から考える博士のような自由人にして言える言葉だと思います。


間違いを犯したことのない人というのは、何も新しいことをしていない人のことだ。
→ 我が国のサラリーマンの定年退職挨拶の常套句は「お陰様で大過なく……」ですね。博士のようなクリエイターからみたら、間違いを犯さなかったということは、何の挑戦もしなかった無能者の恥ずかしい挨拶に見えるでしょう。


どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか。
→ 確かに、近年の傾向として、やけに他人を攻撃する人が増えているように思えますが、どうでしょうか?


唯一の救いは、ユーモアのセンスだけだ。これは、呼吸を続ける限りはなくさないようにしよう。
→ 博士はべつのところで「自分と相手とを真剣に受け取らないように心がけている」と発言されている。確かに巧みなユーモアやウイットは人間関係の衝突や軋みを巧みに緩和する技術だと思う。「唯一の救いは…」とおっしゃっているところを見ると、博士の敏感かつ繊細な心には人間関係で耐えられないものが数多くあったのではないかと推察できます。


わたしは医者に手伝ってもらわなくても死ぬことができます。
→ これだけは博士と全く同じ考えです。翔年が日本尊厳死協会に入っているのはそのためです。医者に無用な延命措置をしてもらいたくありませんから。




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