元祖SHINSHINさんのブログ

最新一覧へ

« 前へ1165件目 / 全2707件次へ »
ブログ

「Every Little Thing」Chaka Khan

最初耳にしたときには、単調な曲だと思った。

けれど、何度目からか、曲の良さが身に染みてきて、

リピート地獄にはまってしまう。

 

単調なメロディー一本槍だけれど、

つなぎの部分に変化をもたせて、視聴者をイチコロにする手法。

これは、エリック・クラプトンもしばしば利用する手法だ。

 

曲調の変化だけでなく、その上に声の魅力も大きいからそうなるのだろう。

 

★「Every Little Thing」

https://www.youtube.com/watch?v=56P5ecspTUo

 

「The Best of Chaka Khan Vol.1」では、

おおとりの16曲目に入っている。

紹介した画像は、そのジャケットとは違うChaka Khanが写っていたので選んだ。

 

このように、若いころの写真があって、しかもそれがなかなか魅力的だと、

ますます曲を気に入ってしまうのは、人情だろう。

(かつて、川上弘美がそれをやっていたのも、それを狙ったものだろう)

 

若いころの残像が、イマ現在の姿を吹き消してしまう。

ファンならば、そう視ていると考えて不思議ではないと思う。

 

こういう心理を描いたものとして、

「湯煙スナイパー」を思い出した。

 

かつて、盛り場で主役だったストリッパーは、

イマ現在、たいへんに容姿が変わってしまった。

けれど観衆は、かつて若かりしころの姿を

ストリッパーに透視して、その魅力に酔いしれるのだ。

 

TV東京で流れた「湯煙スナイパー」は、

主演が遠藤憲一で、なかなか渋くてオモロイ作品であった。

ここ最近のドラマでは、No.1の出来だと思われる。

 

   *

 

 

「単調なメロディーだけれど、つなぎで変化をもたせる」

と書いたけれど、

これは昨日書いたミステリ界の閻魔大王のささやきと、通じるものがある。

 

「普通に書けば平凡な本格ものも、ちょっとプロットをひねるとオモロクなることがある」

 

これはなにも、ミステリーに限らないだろう。

 

PS:稲垣吾郎の番組で、「火花」のラストシーンの描写について、

   芥川賞ダブル受賞の相棒から、ちょっとしたコメントがあったが、

   これには思うところがある。

 

   その描写は、ストレートに書かずに、少し裏側から見たような描写になっている。

   これを相棒は、「小説家的な運動神経」と表現していた。

 

 

   十年、二十年書いていても、それができない作家がいると発言していたが、

   少し考えると、それは言いすぎではないかと思われる。

 

   確かに「小説家の運動神経」は存在するのだろうけれど、

   こうした手法は、昔あった作詞の世界では当たり前のように使われた手法だ。

   阿木燿子の「横須賀ストーリー」でも、このあいだ聴いたところだ。

   山口洋子や山口瞳の作詞でも、よく出てくるんだな。

 

   今どきの若いアーティストは、作詞がストレートすぎてつまらない。

   そう発言したのは宇崎竜童だったし、エッセーでは北方謙三も書いている。

 

   けれど、同じ手法を小説に使った場合、

   失敗をすると、ひどく既視感のある臭いものに変化してしまうリスクがある。

 

   だから、ベテラン作家ほど容易には同じ手法を、使わないのだと思われるぞ。。

 

PS2:描写でイイのは、村上龍「限りなく透明に近いブルー」だと、思うけどな。

 

 

コメントを書く
コメントを投稿するには、ログイン(無料会員登録)が必要です。