jojuさんのブログ

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★書評「信長公記」(繁栄と平和の共通原理)

 「信長公記」の現代語訳があったので読んでみた。 書評★5つ(最高ランク)

 「信長公記」は織田信長の行動を一家臣が記録し続けて出来た書。
 信長死後に完成してるので、信長が生き続け織田政権が続いていたら公言できなかったであろうことまで書かれている。
 父親の位牌に灰を投げつけた、奇妙な恰好で町を歩き回った、うつけ者呼ばわりされた、などの下りはこの書が元ネタ。 この書がなければ信長の実像はあまり分かってなかったと思う(後に秀吉の政権簒奪もあったので、、)。

本書からの信長の印象は次のとおり、、、、、
 鳴かぬなら殺してしまえ、、のイメージと違って実際には許しまくっている織田信長
 破壊者のイメージとは違い、天皇家、公家の所領回復を行っている織田信長。

 支配地を広げるたびに関所を撤廃し、税を軽減し、楽市楽座を広めまくる織田信長。
 独裁というより家臣に権限委任の合理的経営。
 家臣に支配地での苛烈な仕置きを禁じ、公正な政治を求める。
 自分の命令に理がなければおもねらず意見を述べよ、と家臣たちに通達する合理性(理があれば家臣の意見を取り入れる)、、、圧政とは程遠い

以上から分かるのは、信長が公正さと経済的自由、、つまりは市場原理が経済的繁栄を築き、経済的繁栄が軍事的強大化につながる、、という基本原理を肌で理解していた政治家だったこと。
  (市場原理という言葉もない時代だがそれを肌感覚で分かっていた政治家。 信長の支配ルートは平面的に支配地を広げるよりも、商業上の重要地点を優先的に、つなぐように、抑えに行っており無駄がない。 この点からも経済を重視し熟知していたことが伺える)

(補足) 市場原理とは、「より良い製品、サービス、労働により高い価格、報酬がつく、という当たり前の原理=公正原理」。 経済を自由化すると、自分だけ損をしたくないという防衛本能から商業上の綱引きの結果、自然と時系列平均的にこのような公正状態が保たれる。 このような公正状態では、人材、資金など経済資源が最適配分され、かつ個々の労働意欲、創造意欲も高まるので経済成長は最大化する。 
  そこでは、経済的自由→市場原理の自然作用→時系列平均での公正状態維持→経済成長最大化→富の増大→防衛力の増大→パワーバランス維持→平和の持続→経済的自由→、、、という好循環のサイクルが働き、同時に、富の増大→国民の経済力増大→国民の政治的自由拡大(民主主義)→経済的自由の拡大→富の拡大、、というもう一つの好循環サイクルが生まれる。 
 このように自由経済、公正、繁栄、平和、民主主義はすべてセットであり、そのベースになるのは個々人の防衛本能から人間集団に自然と働いてしまう「市場原理」。
 人間の防衛本能が根源的で強固な本能ゆえ、それに由来する「市場原理」も強固な「自然法則」的なものになる。
 それゆえ、市場原理に反する政治体制は持続せず、必ず経済的停滞と低落をきたす。 その代表は悪平等の社会主義。 市場原理に反する悪平等を指向する社会は、資本主義社会であれ、衰退していく(代表例は高度成長期終焉後の日本や英国病時代、サッチャー登場以前のイギリス)。

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 信長が調略が通じる叡山は滅ぼし、徹底抗戦で戦いまくった本願寺を最期に許したのも、公正さは民意を集める、物凄い力になる、侮れない、と分かっていたからかも知れません。
 ために、平安時代以来、強訴、不正を繰り返し民意が離れた叡山は徹頭徹尾滅ぼし、一方、民意が集まっていた本願寺は許したのかも。

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 信長の政治はマキャベリの政治思想と通じる
 (公正と経済的自由が国家繁栄のいしずえ、、、そういう繁栄した共和制国家を作り、維持するための戦術的方法論が君主論で、君主論はマキャベリの思想の枝葉に過ぎない)

 公記を読む限り、織田信長はクラウゼビッツ、孫子、マキャベリを兼ね合わせた実行家のように見える。。。現場の野戦に優れ、外交戦術に優れ(敵を許しまくり味方に取り込みまくるのもその一端)、政治的戦術、経済政策にも優れたスケールの大きい万能人。 この万能さは衆知を取り入れる柔軟性、合理性から生まれたのではないだろうか? 
  (クラウゼビッツは純粋軍事的戦術家(あえて戦略家とは言わない、、)。 孫子は外交戦術と軍事をミックスさせた軍略家でクラウゼビッツより視野が広い。 マキャベリはさらに政治、経済まで俯瞰した広い視野の政治思想家。 前二者が泡沫的、一時的な軍事のゼロサムゲームしか見てないのに対し、マキャベリは恒常的、永続的なプラスサムゲームの経済まで見据えており、そこからプラスサムゲームの世界を維持し共和国民を平和裡に富ませ続けるための方法論=政治戦術へも思想展開して、君主論を書いた)

 乱世は合理主義を研ぎ澄ます、、、状況に合わせて合理的に動いてきた人間だけが勝ち残るから自ずとそうなる。 この過程は「対外的」には必ずしも「公正」ではない、というか往々にしてその真逆である(マキャベリズム)。
 ただし、勝ち残っていく段階や勝ち残った後で経済的パワーを高め、繁栄と力を持続するには「国内的」に市場原理(公正原理)を歪めない、解放するのが合理的である。 政治家には内外二つの合理を使い分け、使いこなす能力が求められるのかもです。
  (経営論としてマキャベリの君主論(ゼロサムゲーム)を読み解くのはアホかも(--; 「社内的」に「君主論」を実行するのはバカの極みで、こうした行為は会社の凋落を招くかもです)

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 信長に残忍な圧政者のイメージが広まった、もしくはそういうイメージが放置されたのは後の政権(豊臣、徳川)にとって都合が良かったせいかも知れない。

 豊臣秀吉、徳川家康の経済政策は信長時代の焼き直しの可能性大。
 しかし、三代徳川家光から五代綱吉に至り、鎖国、儒教化(鎌倉時代の如き封建制への回帰、経済的自由度の低下)の完成で日本経済は後退していった。
 ほぼゼロ%成長の江戸時代になり、かつての繁栄は喪失し、軍事力の相対的低下が起きた。

 近世儒教は経済的牢獄、停滞の思想である(春秋戦国、諸子百家の孔子時代からむしろ不合理、後退的に変質していると思われ、、)

 国が繁栄し、軍事力(防衛力)も高まる時代、侵略されず国民が豊かになっていく時代は、常に経済的自由が拡大し、政治的自由も拡大し(階級の解体など)、互いに相乗効果で自由度が高まっていく共通の傾向が見られる、、、、室町~戦国、明治~大正、終戦後~高度成長期など。 
 信長もそういう発展時代を作った日本の代表的政治家で、政治家としては明治以降の大久保利通とならぶ双璧と思います。 武将としての有能さも併せ持ってたので日本史上最高の政治家だったのかも知れません。

 多くの小説、ドラマのように軍事、ゼロサム、武将の側面しか見てないと、信長のホントの偉大さ、現代にも通じる普遍的価値は分かりにくいかもです(勝ち負けだけの狭小、単純な世界に生きる「武人」ではなかった)

(補足) 銃の生産量、改良度合いから世界一クラスの軍事大国だった戦国時代の日本、、、その基は自由度の高い経済。 
 軍事大国だった日本の朝鮮出兵失敗の原因は、軍事劣性でも、大名たちが戦争に倦んでいたせいでもなく、大名出兵中、留守中の家臣の力増大=応仁の乱以降の下剋上の再現、二の舞を大名たちが恐れたため。
 大名たちの早期本国帰還指向、、、秀吉への手前上、派手に戦いつつも裏では早期撤収を画策した戦国大名がいたのはその証、、おそらく。
  
 
 
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