ユリウスさんのブログ

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風俗繁栄率

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 タイトルから吉原や北新地の話と思われた方はごめんなさい。昔の茶屋の話です。江戸時代には「茶屋文化」とよんでいい商売が繁昌していた。意味が分からない川柳などは、「茶屋」の実態が分かってはじめて、川柳の意味が納得できるものがある。
 具体的には

事例1 
水茶屋の娘の顔でくだす腹
茶を五、六十杯飲んで手を握り

 お江戸には料理茶屋、色茶屋、出会い茶屋、待合茶屋など、風俗店がたくさんあったが、それに対して水茶屋とは、現代で言えば喫茶店みたいなもので、お茶を飲ませるのが主目的だった。浅草寺、神田明神、芝神明など、寺社の境内や両国のような盛り場に多くあったという。(水茶屋の「水」は水商売の「水」ではなくて、茶葉を売る「葉茶屋」と区別するためだった)とはいいうものの、始めは単に渋茶を飲ませる程度の店だったものが、茶も次第に高級品を使うようになり、そのうち美しい茶くみ女を置いて客を呼ぶようになったらしい。川柳はそういう情景を詠んでいる。



事例2
裏おもてある水茶屋ははやるなり
水茶屋と見せ内証はこれこれさ

 ところが、どんな時代にも男の欲望につけ込んで金儲けを考える知恵者はいるもの。表向きはヨシズ張りの店構えだが、奥のほうには座敷をつくり、酒肴を用意してお茶くみ女が接待する店ができていたらしい。この川柳からはそう想像するより他はない。


事例3
二十軒後ろの方へ連れて行き
二十軒四つより前は並みの茶屋

 浅草寺境内の仲見世右側に並んでいた二十軒茶屋のサービスはきっとお茶だけではなかったハズ。四つ(午後十時頃)過ぎともなれば、サービスは濃厚だったに違いありません。


事例4
茶代が六文惚れ代90文

 ものの記録によれば、二十軒茶屋の有名美女は港屋のおろくと難波屋のおきた。今の価値に直せば、コーヒー代が600円、いいおもいをするには一万円程が相場だったということか。

 以上は主に興津要著「江戸小咄女百態」を参照しながら書きました。


 さて、変なことを思い出した。かれこれ20年ほど前、世に独創性テストというのが行われており、そこで翔年が好成績をおさめたことがあった。その時の回答の一部をご披露して終わりにします。(電話取材だけで「週刊宝石」におもしろおかしく掲載されました)


風俗繁栄率=(経済成長率の2乗×自由度×露出係数)÷暴力団の係わり度


(説明)
経済成長率の2乗=直近5ケ年間の平均経済成長率の2乗≒0~4
→ 生きるに精一杯では、風俗店に行けない、行かない。加えて、少なくとも猥雑な都市部が発達していなければならない。

自由度=法律規制+宗教戒律+大衆の活力=3~0
→ どの制約も全くなければ3、かつて共産圏には風俗店はなかったから、多分自由度もなかったんだろう。

露出係数=1~0
→ 全裸~全て隠す。説明不用。

暴力団の係わり度=1~0
→ 暴力団が経営~庶民が営業(暴力団介入なし)。ロシアや中国では暴力団よりもっと怖い政府が係わっていることがあるから、これも含むものとする。
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