ユリウスさんのブログ

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キルトと着物の下は?

 今、「いきいき塾」に滞在しているアメリカ人、M氏のルーツはスコットランドだと聞いた。が、翔年はアーサー王の物語など、スコットランドのことはほんのちょびっとしか知らないから、その話はそれきりになっていた。

 ところが、無意識下にスコットランドがあったからだろうか、たまたま今読んでいる丸谷才一著「男もの女もの」のこんな変な箇所に眼がとまった。

『十九世紀の末、スコットランドのブラック連隊がヴィクトリア女王の前でスコットランド・ダンスを踊った。もちろん下着はつけていない。兵隊達は常にも増して景気よく足をあげ、ふんだんにお目にかけた。女王もはじめのうちはおもしろがって見ていたらしいが、やがてうんざりして、
「もういい。今後はパンツをはくように」
とおっしゃった。』

 なんだ! これは!
 少し説明が要る。

 ほとんどの日本人はスコットランドの兵隊はキルトという男のはく格子縞のスカートをはいていることはよく知っている。が、ほとんどの日本人はこのときの女王のご指示以前は、キルトの制服はパンツ無しではくのが正式であったことは知らないのではないか。兵隊さんがスッポンポンで制服のスカートをはくのが正式だなんて、日本人には全く不可解だ。古来日本武士は褌(フンドシ)をキリリと締めて凛としていたのだから。

 反対に我が日本では女性が着物を着る時はスッポンポンではなかったか。今でも花柳界では腰の線をきれいに出すために腰巻だけだというし、庶民でもつい最近まで、そういう風習であった。その傍証を二つほど示そう。

1 「白木屋大火の大きな問題点」
 日本の都市災害史に残る大火災の一つ。1932年(昭和7年)12月16日午前9時15分頃、4階の玩具売り場で火災が発生。地下2階、地上8階の建物の4階から8階までを全焼して午後12時過ぎに鎮火した。この火災で逃げ遅れた客や店員ら14人が死亡し500人余りが重軽傷を負うなど、日本初の高層建築物火災となった。
→ この火災の何が問題かというと、着物の下がスッポンポンだったことだ。火事に野次馬はつきもの。大勢の野次馬に下から見られているので、恥ずかしくてロープにつかまったり、飛び降りたりできなかった上の階の女性が犠牲になったと言うのです。
 当時の和装婦人は腰巻は着用していても下ばき(下着)を着けない(腰巻は下ばきの変わりにならない)という慣習が大問題となった。
 消防署や識者や世論を巻き込んだ論争が続いた。そして、東京朝日新聞は昭和8(1933)年5月7日の社説で「日本婦人はズロースなく、門戸開放にすぎる」と論断した。

2 潮干狩りの情景
 こんな江戸川柳がある。

 蛤の出るまで捲る(マクル)潮干狩り    

(表の意味)潮干狩りでは浅いところで掘っていても「あさり」とか「烏貝」しかでてこない。「蛤」を取るにはもう少し深みに行かなければならない。そのために裾をもっとまくり上げなければなりません。
(裏の意味)江戸時代の女性はパンティーなどという野暮?なものは履いていなかった。捲り上げれば当然、見えるべきもの(いや見せてはならハマグリ)が出てしまうのが潮干狩りというもの。


(蛇足)
 先年、チャールズ皇太子がキルトをはいてスコットランドの山に登った時、突風が吹いてキルトがめくれ、パンツが見えたという。そこで、イギリスの新聞は「彼は真のスコットランド人とは言いがたい」と非難したという。
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