元祖SHINSHINさんのブログ

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全国にウジャウジャいる鈴木さんの先祖

今日は、以下の書籍を読んで感銘を受けたのでご報告。

★「面白いほどよくわかる家紋のすべて」
  安達史人(あだちふみと)監修 
  日本文芸社 1,400円+税
  P76~77 「熊野信仰から生まれた姓 鈴木」

熊野縁起によると、
古来より「穂積→すすき→鈴木」となって、
熊野の神官として栄えたのが始まりだそうです。

その鈴木神官の一部が紀伊国藤白(海南市)に移り、
藤白王子社の神官に。

そして、この藤白王子社→藤白神社となって、
ここが鈴木の名字の発祥とされているとのこと。

その後には三河鈴木党が生まれ徳川に縁を結んで、
江戸へは数十名が御家人として採用されたそうです。

驚いたのは、壇ノ浦の戦い当時に鈴木党の党首だった
鈴木重家という人が、源義経公をたいへんに慕って
奥州平泉まで追いかけており、
義経公の自害を知るやその場で殉死したというのです。

また、義経公の家来に鈴木三郎という人がいましたね。

義経軍は戦の途中で熊野の水軍に助けられており、
頼朝の勘気を受け静御前と吉野に逃げた折、

また静御前と別れ安宅関(あかたのせき)を経由して、
平泉に向かうときの装束が山伏に扮したのも、
熊野の縁がそうさせたのでしょう。 

そうそう、弁慶の勧進帳で有名な安宅関。
源頼朝が義経一派を捕らえるべく設けられた関所。
ここで富樫氏にはたいへんな恩を
義経公は受けたわけですが、
安宅には安宅住吉大社があるとのこと。

住吉大社は、伏見稲荷大社と同様、
創始者が秦一族とされています。

毘沙門天を祭る鞍馬寺から始まって、
熊野の密教と縁を結び、
住吉大社からも助けられた義経公は、
強靭な神仏の加護に導かれた運命の人といえそうです。

PS:ええ、オイラの姓は鈴木です^^
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